今、若い世代からも、また海外からも熱い注目を浴びている昭和ポップス。昨今では、音楽を聴く手段としてサブスクリプションサービス(以下「サブスク」)がメインで使われているが、必ずしも当時ヒットした楽曲だけが大量に再生されているわけではなく、配信を通して新たなヒットが生まれていることも少なくない。
そこで、本企画では1980年代をメインに活動した歌手・アイドルの『Spotify』(2023年4月時点で4億8900人超の月間アクティブユーザーを抱える、世界最大手の音楽ストリーミングサービス)における楽曲ごとの再生回数をランキング化。当時のCD売り上げランキングと比べながら過去・現在のヒット曲を見つめ、さらに、今後伸びそうな“未来のヒット曲”へとつながるような考察を、本人または昭和ポップス関係者への取材を交えながら進めていく。
チェッカーズの大ヒット曲を9作担当した作詞家・売野雅勇に直撃!
今回は、1983年にレコード・デビューし、’92年の『第43回NHK紅白歌合戦』出場を最後に解散した男性7人組バンドのチェッカーズに注目。彼らは、デビュー曲「ギザギザハートの子守唄」からラストシングル「Present for you」までのシングル全31作がオリコンTOP10入りを果たした。特に初期の3年間は、主演映画が作られたり、アイドル雑誌の表紙を飾ったりすることで人気が爆発し、この時期にリリースされた11作のシングルは、いずれもオリコン週間1位、または年間でTOP20入りという大ヒットとなっている(全11作の作曲は、当時のプロデューサーである芹澤廣明が担当)。
そして、そのうち9作の作詞を手がけたのが売野雅勇だ。売野はチェッカーズのブレイク前から、中森明菜「少女A」、ラッツ&スター「め組のひと」、河合奈保子「エスカレーション」などで頭角を現していたが、’84年にチェッカーズに提供した「涙のリクエスト」「哀しくてジェラシー」「星屑のステージ」がいずれも累計60万枚を超える年間TOP10ヒットとなったことで一躍有名になったといえるだろう。
そこで、今回は売野にチェッカーズの初期楽曲のSpotifyにおける現在のヒット状況を見てもらい、当時のエピソードを語ってもらった。なお、fumufumu newsでは、’21年8月にも売野にインタビューをしており、今回登場する楽曲に関して、より詳しく尋ねている部分もあるので、そちらもぜひ読んでいただきたい。
(該当インタビュー記事→チェッカーズ人気の火付け役・売野雅勇が振り返る「5回ダメ出し」「フミヤとの思い出」)
ちなみに、売野自身はストリーミングサービスについて、
「あまり使っていないけれど、“あの曲なんだっけ?”ってスマホに聞かせて表示されるアプリ(『Shazam』)からは楽曲を保存することもあります。あのアプリは、ものすごく便利だね!」
と適宜、活用しているそうだ。
フミヤの歌声がアジアで人気!? 初期3年間の楽曲が今でも支持されている
では、Spotifyのチェッカーズ人気を考察していこう。月間リスナーは常時20~25万人いるが、そのうち約3割が海外のリスナー。チェッカーズの場合は分母も大きいので、3割といえば7万人前後もいるのだ。しかも、昨今の“シティポップ・ブーム”から、多くの昭和の邦楽はアメリカやカナダのリスナーが中心であるのに対し、チェッカーズの場合は、インドネシア、台湾、ベトナム、フィリピンなど、アジア地域で強い。これらの地域では、藤井風やなとりなどのイケボ(イケメンボイス)系J-POPが人気なので、チェッカーズもボーカル・藤井郁弥(藤井フミヤ)の歌声の魅力が、アジア人気につながっているのかもしれない。
楽曲ランキングを見ると、TOP15のうち、7作が売野雅勇の作詞曲となっている。つまり、当時大ヒットした初期3年間の楽曲が、今もSpotifyで人気ということだ。まさに、記録でも記憶でも間違いないヒット曲が多数あるといえる。
「ジュリアに傷心」は売野の最大の苦労曲、「涙のリクエスト」は“押さえ”だった
その中で第1位は、’84年末に5作目のシングルとしてリリースされた「ジュリアに傷心(ハートブレイク)」。昭和のレコード売り上げも、平成後期に多かったダウンロードでも、そして今回の令和のストリーミングでもチェッカーズの中で堂々1位となった。
この感想を売野に尋ねると、
「まあ、この詞は5回書き直しという自分史上、最高記録を出した作品だから(笑)、この順位は妥当だろうね。でも、もっとうれしいのは『涙のリクエスト』(14位)も、ちゃんと聴いてもらえているということかな」
とのこと。注釈すると、「ジュリアに傷心」は、作曲の芹澤廣明からなかなかOKが出ずに途中、「もう他の作家に替えてくれ」と思ったほど大変だったという。また「涙のリクエスト」のほうは、売野が発注された内容とは別に“押さえ”のつもりで書いた歌詞。当時チェッカーズがやっていたドゥー・ワップ(’50年半ばにア
「星屑のステージ」のヒントは「喝采」、当時はシングルを想定していなかった
そして、Spotify2位にはシングル売り上げでは4番手の「星屑のステージ」がランクイン、しかもトップの「ジュリアに傷心」と接戦で健闘している。一般的に、サブスクではバラードやマイナー調の楽曲は順位が低めになることを考えると、これは相当な人気といえよう。ちなみに、「ジュリアに傷心」も「星屑のステージ」も、9割以上が国内で再生されている。つまり、「星屑のステージ」は、懐メロ番組や主題歌となった当時のドラマ『うちの子にかぎって…』(TBS系)がらみで紹介されることで、国内の幅広いリスナーに広がっていると考えられる。
「『星屑のステージ』は、“ちあきなおみの『喝采』のような詞を書いてほしい”とプロデューサーから言われて、チェッカーズとファンの子の関係を歌った、私小説的なものを書けばいいと思って作ったんだ。でも、まさかシングルなるとは思っていなかったので、力まずにわりと早く書けたかな」
そのストレートな思いが、チェッカーズの演奏や歌声の力強さも相まって、現在での大人気につながっているのかもしれない。
「ギザギザハートの子守唄」は「出だしの歌詞のインパクトは越えられなかった」
続いてSpotify第3位は、デビュー曲「ギザギザハートの子守唄」。こちらは、もともと芹澤廣明が真田広之への提供作として、別の作詞家・康珍化と組んで書いていたが、真田側では採用されなかったもの。チェッカーズの場合は、デビュー前からシングル3枚のA/B面として6曲を準備することが決まっており、A面用として録音した、売野作詞の「哀しくてジェラシー」「涙のリクエスト」のほかに、さらにインパクトが欲しいということで、ボツになっていた「ギザギザハートの子守唄」を検討したらしい。
「でも、“シングル3曲とも同じ作詞家でやりたいから、売野さんも同じメロディーで歌詞を書き直してくれ”と言われたんだ。というのは、康さんの歌詞の中に《仲間がバイクで死んだのさ》とあるけれど、(当時のチェッカーズの所属事務所の親会社がYAMAHAだったので)問題だと言われる可能性もあったからね。それで、俺も書いてみたんだけど、出だしの《ちっちゃな頃から悪ガキで 15で不良と呼ばれたよ》よりもインパクトのある歌が書けなかった。俺が書いたのは、悪ガキの歌にならずに、泣かせる結構イイ歌になっちゃった(笑)。それで案の定ボツになって、『ギザギザハート~』は最初の歌詞のままでいくことになったんだ」
最終的に、《仲間がバイクで死んだのさ》をそのまま生かしたとは驚きだが、当時は今のようにSNSもないし、本作のヒット時は「涙のリクエスト」「哀しくてジェラシー」と3作同時にベストテン入りをして大フィーバーになっていたし、何より仲間が亡くなったことを示す歌詞が作品にただよう悲哀を演出しているし、まったく問題にならなかったのだろう。
「哀しくてジェラシー」には浜口庫之助のようなフレーズと演歌っぽさを挿入
そしてSpotify第4位には、その「哀しくてジェラシー」がランクイン。
当時から大ヒットしていながら、「ギザギザハートの子守唄」や「涙のリクエスト」に比べ、これまであまり語られていないので、改めて売野本人に作品の意図を尋ねてみた。
「これは曲先(曲が先に作られ、後から詞をつける流れ)で作詞したんだけど、芹澤さんのメロディーを聴いて、浜口庫之助先生のような雰囲気を感じたんだ。浜口先生の歌は《僕は泣いちっち~》とか、ちょっと変わったフックがあって、実験的にそういうフレーズ(“ah han han”や“lonely lonely lonely lonely”)も入れつつ、あえて演歌っぽいフレーズも使ってみたんだ。だから、《男と女はすれ違い~》や、《二つの淋しさ重ねたら~》といった言葉が入っている。それが親しみやすさや、口ずさみやすさにつながっているのかもしれない。どことなく哀愁がただよっている楽曲だよね」
当時は、勢いもあって何を出してもメガヒットしていたが、こんな風に1曲ずつ繊細かつ熱い思いがこめられていることを知ると、さらにじっくり聴き返してみたくなる。
◇ ◇ ◇
ここまで、有名どころの4曲を中心に語ってもらった。インタビュー第2弾では、5位以下の人気曲や、売野が「ギザギザハートの子守唄」について「実は、この話には続きがあって……」と初めて語った衝撃エピソードについても紹介したい。
(取材・文/人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)
【PROFILE】
売野雅勇(うりの・まさお) ◎上智大学文学部英文科卒業。 コピーライター、ファッション誌編集長を経て、1981年、ラッツ&スター『星屑のダンスホール』などを書き作詞家として活動を始める。 1982年、中森明菜『少女A』のヒットにより作詞活動に専念。以降はチェッカーズや河合奈保子、近藤真彦、シブがき隊、荻野目洋子、菊池桃子に数多くの作品を提供し、’80年代アイドルブームの一翼を担う。’90年代は中西圭三、矢沢永吉、坂本龍一、中谷美紀らともヒット曲を輩出。近年は、さかいゆう、山内惠介、藤あや子など幅広い歌手の作詞も手がけている。
“売野雅勇 作詞活動40周年記念 オフィシャル・プロジェクト MIND CIRCUS SPECIAL SHOW「それでも、世界は、美しい」”開催!
・日時:2023年7月15日(土) 16時開場/17時開演
・会場:東京国際フォーラム ホールA
・料金:全席指定 税込15000円
・音楽監督:船山基紀
・出演:麻倉未稀 / 稲垣潤一 / 荻野目洋子 / 近藤房之助 / さかいゆう / 杉山清貴 / 東京パフォーマンスドール(木原さとみ 他) / 中島愛 / 中西圭三 / 中村雅俊 / Beverly / 藤井尚之 / 藤井フミヤ / MAX LUX / 望月琉叶 / 森口博子 / 山内惠介 / 山本達彦 / 横山剣 ほか(50音順。都合により出演者が変更になる場合あり)
※演目詳細やチケット情報は特設サイトへ→https://masaourino40.com/
◎売野雅勇 公式Facebook→Facebook.com/urinomasao
◎売野雅勇 公式Twitter→https://twitter.com/urino222