たけしみたいなことはやらない

 たけしは自著『Kitano par Kitano: 北野武による「たけし」』(早川書房)で、きよしについてこう綴(つづ)っている。「二郎さん(きよしの本名)は猛獣使いで、俺は猛獣。二郎さんのような相棒でなけりゃ、ふたりの漫才はあれほど長続きしなかっただろうね。(中略)二郎さんは優秀な調教師だったよ」と。

ビートたけし

「俺は競馬でいう騎手なんですよ。最初に飛ばしすぎたら馬が途中でくたびれちゃうでしょ? 『今は行きすぎだから引っ張ろう』『ここは前に出よう』ってやるのがツッコミなんです」(きよし)

 ある意味、プロデューサー的視点ともいえる。錦鯉も渡辺が長谷川をプロデュースする関係性だ。錦鯉結成前の長谷川にはピン芸人だった時期があり、彼はそのころについてこう振り返っている。「この世界はセルフプロデュースできる人間が強いけど、僕は自分のことがわからなかった。そして、それをしてくれたのが隆だ」と──。

 こんな証言もある。

所属事務所で渡辺は重宝されています。同じ事務所所属のバイきんぐやハリウッドザコシショウが単独ライブを行う際は、必ず渡辺にネタの相談をする。ザコシショウからは『じきにオードリーの若林みたいになる』と、バイきんぐ小峠からは『事務所の羅針盤』と呼ばれるほどです」(放送作家)

それ、言いすぎだろって話なんですけど(苦笑)。僕、錦鯉を組んだときは、雅紀さんに道を切り開いてもらって、その道の中で自分のやりたいことをやるという思惑でした(笑)。でも、そろそろ存在が世間にバレてきているというか、これからは僕も前に出て仕事しなきゃいけないかな? という気はしています」(渡辺)

渡辺隆(錦鯉) 撮影/北村史成

 “世界の北野”を相棒に持ったきよしは今、じゃない方という存在だからこそ望みどおりの芸能活動を謳歌(おうか)してきたという。

「念願だった歌手デビューもしたし、プロデューサーの久世光彦さんに可愛がられてドラマでよく使ってもらえたし、五社英雄監督もよくしてくれて、映画『吉原炎上』(1987)に出たし。

 MANZAIブームが終わったころ、みんなから『なんでたけしみたいなことやらないの?』と言われたけど、俺がやってもうまくいくわけがねえんだ。相棒とは個性が違うんだから。俺は昔から、やりたいことだけやってるし、嫌な仕事だったら平気で断っちゃうしね。反対に、昔はあんなに自由にやってた相棒が今、きちんと仕事を引き受けてるだろ? 偉いと思うよ」(きよし)