先日、コトバス(コトバスケット)に久しぶりに書いたフムッフィーが、過去のコトバスを読み返して、

「あれ、DD先輩は1回も書いてないフム?」

 僕のほうを振り返り、そう言った。ふだんはどこにあるのかわからない目を、毛の間からキラリと光らせながら。

 ヤバい!!! はいはい、書きますよ、、、フ〜ム(←ため息)

 ネタ探しに本棚を漁っていると『質問の本』(グレゴリー・ストック=著、森瑤子=訳/角川書店)を見つけた。

『質問の本』(グレゴリー・ストック=著、森瑤子=訳/角川書店) ※画像をクリックするとAmazonの紹介ページに飛びます。

 懐かしい。たしか若手の記者だった頃、インタビュー取材のときに変わった質問をしたくて、参考にするために買った本だと思う。奥付を見ると発行は平成3年。ちょうど30年前だ。

 パラパラとめくってみると、1つだけ◎(二重丸)をつけている質問があった。

〈長い間、やってみたいと夢見ていることが何かありますか? なぜ、まだ実行に移していないのですか?〉

 僕がいま、この質問で気になったのは〈夢見ていることが何か……〉ではなく、〈なぜ、まだ実行に移していないのですか?〉のほうだ。

 こういう質問をされると、僕は自問自答をしたくなる。でも簡単には答えを出したくない。せっかく考えるきっかけをもらったので、「なぜ?」「本当にそう?」「ほかに何かない?」と質問を繰り返しながら、自分の記憶の中、心の中へと深く潜っていく。自分でも気づけていない“答え”と出合えるかもしれないから。

 心の奥底では、まだ言葉にされていない感情や感覚が、絶えず生まれては消えていき、自問自答を重ねていくと、それを“自分の言葉”にできる瞬間がある。それが愉しい。これまでコトバスでご紹介してきた、いろんな人の名言も、その人たちが自分の頭で自問自答を重ねた結果、出てきた“自分の言葉”だと思うのだ。

 僕の場合、とくにネガティブな感情に関わる問題は、他人の言葉よりも、自分が導き出した言葉に勇気づけられたり癒やされたりすることが多い。

 不安だ、めんどくさい、私はダメだ──自分の中に、そういう消極的な感情を感じたら、自分自身に問いかけてみませんか。〈私はなぜ、そう思うのか?〉〈私は、このままでいいのか?〉と。

 ……というわけで僕も長い間、見て見ぬふりをしてきた〈やってみたいこと〉を心の隅から引っ張りだすことにした。(DD)