先日、会社の研修がオンラインで行われ参加した。外部講師の指示で、参加者を2〜4人ずつのグループに分けてディスカッションや1対1のトークを何回か行った。

 コミュニケーションについて考えるために、話し手と聞き手に分かれて1対1で話すことになった。テーマは「最近、楽しかったこと」。

 相手は、定年後に嘱託社員として働いているN先輩。これまで仕事でもプライベートでもほとんど接点はなかったが、何度か話をしたことがあるので、大まかなキャラクターは知っている。お酒が大好きなおじさんで、ちょっと癖の強い会話をする。自分の言葉を持っていて、周りに流されない。いわゆる“集団同調性バイアス”とは無縁な人という印象だった。

 まずは僕が話し手になった。最近、楽しかったこと? いくら考えても出てこない。そういえば最近は、そんなことを考えたこともなかった。

 平日も休日も仕事、家事、介護とやることは山ほどあって、一方で年齢的に能力も気力・体力もどんどん衰えていく。コロナ禍で飲みに行くこともなくなったし、趣味らしい趣味もなくなった。息抜きの時間は、半分仕事でネットニュースの記事を読み漁るだけ。

 そんなことをひとり言のように話していたら、パソコンの中のN先輩に「楽しいことって必要なのかなあ」と言われた。そこからは話し手も聞き手も関係なく、先輩に人生相談をしているような時間になった。

「健康で、借金がなくて、犯罪者にもならなければ、それでいいんじゃないのかなあ」

「若くして亡くなった人たちのことを思えば、健康というだけでありがたいことだと思うよ」

「もし、楽しく生きなくちゃいけないと強制されたら、それこそパワハラだよね」

 N先輩にそう言われ、ちょっと嬉しくなってしまった。

 たしかに、楽しいと思うことがない生活でも、ごはんを食べれば満足するし、シャワーを浴びれば鼻歌を口ずさむ。たまによく眠れたりするとスッキリした気分になる。家の中では奥さんと娘より序列は下だが、ときどき優しくされると安心する。

 不摂生な生活を続けてきたので、長生きはできないかもしれないけど、もともと鬱とは無縁の前向きな性格だから、これまでの人生に悔いはないし、将来の不安もあまりない。何か問題が起きても、できる範囲でなんとかするしかないと思っている。

 なるほど、歳を重ねた今の僕は、楽しいことを必要とはしていないなあ。あ、でも、この会話は楽しい時間でしたよ、N先輩。(DD)