2004年に小説『人のセックスを笑うな』でデビューして話題となり、その後も『母ではなくて、親になる』『ブスの自信の持ち方』『肉体のジェンダーを笑うな』など、常識から外れた視点で世を見る小説やエッセイを書き続けている作家の山崎ナオコーラさん。

 彼女が20代のときに書いた初のエッセイ集『指先からソーダ』を読んだとき、ジーンとむずがゆい感動が身体中を走るような思いがしました。

 世界に「なぜ?」を問い続ける子どもの感性を残したみずみずしさ、根拠のない自信、上昇志向、周りに認めてほしいという野心。読んでいて、ああ、10代や20代って自分の可能性を信じていたし、傷つきやすくて周りと自分をよく見つめていた季節だったなと、懐かしい気持ちがよみがえりました。それと同時に、割れ物のような気持ちをダイレクトに読み手に届ける、詩的で繊細な文章も好きで、何度もページをめくりたくなります。

『指先からソーダ』山崎ナオコーラ(河出文庫)※画像をクリックするとAmazonの紹介ページに飛びます

「あきらめるのが好き」というのは、『指先からソーダ』の中にある一編です。(以下、引用)

 私は、あきらめるのが大好きだ。様々なことをあきらめていく。
 二十代も後半になれば、体力は、十代の頃とは、違ってくる。徹夜するのが、つらくなる。しかしあきらめて、この体力で、生きていくのだ。
 身の上に落ちてくる諦念(ていねん)という言葉を甘受(かんじゅ)したい。
(中略)
「あきらめる」の語源は、「明らかにする」だという。物事をはっきりさせる、というところから、意味が変化してきたのだ。
 あきらめていくと、素っ気ない私が見えてくる。自分が明らかになっていく。

 あきらめる、というマイナスな言葉をポジティブにとらえることが、とても新鮮でした。たぶん、同じような意味のことを言っている人は他にもいるのかもしれませんが、山崎さんの書く言葉は、私にとってはとても身に迫るものがありました。あきらめ続けてもしぶとく残った「素っ気ない私」を認めてほめてあげよう、と思えます。

 ちなみに40代になった山崎さんは、今もインタビューで好きな言葉を聞かれると「あきらめる」と答えています。(知)