今から約30年前、私が最初に配属されたのは弊社の販売部でした。ある日、内海桂子師匠が弊社から出している著書にサインを書くために来社されました。「サイン本お渡し会」の準備です。私は広い会議室で師匠がサインを書きやすいように本を並べてお手伝い。その際に上司が「桂子さん、彼は販売部ではなく編集部の希望だったのですよ」と私を紹介しながらそんな話をしました。

 すると、サイン中だった師匠は筆ペンを置いて「今のうち何でも経験しておきなさい。路上生活だって経験できるなら、したほうがいいよ。でもね、それを将来、生かせるかどうかは、兄(あん)ちゃん次第だよ」と真面目な口調で諭すように話してくださったのです。

 正直、希望の部署ではないながら何とか折り合いをつけて日々、勤務していたのですが、この言葉は身体にすんなり入ってきました。自分は、営業時代の経験を生かせているかどうかは、わかりません。しかし、今でもあの時の師匠の凜とした佇まいと優しい眼差しは忘れられません。(文)