令和の現代で死語になりつつある「粋」という言葉。よく時代劇や落語などで「粋だねえ」「粋な御人」など、人柄を褒めるときに使いますが、さて、周りを見渡してみても、そんな人にはなかなか出会えませんし、「粋」という概念自体も消えかけている気がします。

 情けをかけるけど、後腐れなくてさっぱりしている。個人的には「粋」ってそんな感じかな、と思っていましたが、漫画家で江戸風俗研究家、エッセイストでもあった杉浦日向子さんの著作『大江戸観光』(ちくま文庫)を読んだところ、「粋」についての解説がありました。

 執筆当時、1985年。さまざまなメディアで「粋とは何か」という特集が組まれており、杉浦さんもある雑誌で「現代の粋」について対談したそうです。粋はこのころからすでに世には見出しにくいものになっていたよう。以下、『大江戸観光』より引用します。

 さて、ここでこだわっているのはイキですが、粋の他に意気、好風という当て字があります。
 意気は意気地、いさぎよさ、つまり物事に頓着せず、さっぱりとわだかまりのない状態をいいます。対する語として、尊大、傲慢などがあてはまります。
 好風は字のごとく、よいふう、このもしいふうをいいます。嫌味のない、人好きのする状態です。対する語はキザ(気障)となります。
 そして、粋とはきわだった有様をいいます。俗にあって俗に流れぬ超然とした状態です。
 この三つに色気のエッセンスを加えると粋のできあがりです。
 これら全て身をもって体現している人を「粋な御人」というわけです。ちょっと斜に構えたスタイルを「粋だねえ」といいますが、これは間違った用法です。乙(オツ)な人はいても、粋な人というのは聖人君子ほどにも世にいないものです。

 なんと、こんなに条件が組み合わさらないと「粋な御人」とは言えないとは……。どれも難しいのですが、ハードルが高いのは「色気」でしょうか。出そうと思っても出せるものではないですし、現代だとただエロいだけ、というニュアンスにもなりかねない。

 江戸時代に生まれた「粋」は杉浦さんいわく人々にとって“正確無比なモノサシ”であり、日常倫理を支配する概念だったといいます。日本人の価値観を形成していたはずなのに、こんなに遠い存在になってしまっているのは、寂しいものです。

 もし身近に「粋な御人」を見つけたら、天然記念物として捕獲をお願いします。(知)