Tシャツ姿の背中に刻まれた数々のロゴ。これは高木三四郎選手が社長を務めている、株式会社CyberFight(サイバーファイト)が手掛けるプロレス団体や興行名、飲食店のロゴ。社長業だけではなく、52歳になった今も、現役レスラーとしてリングに上がっています。
第1弾インタビュー(プロレス界の「大社長」高木三四郎選手が、デビュー前夜からサイバーエージェント傘下の社長になるまでを語る)に続き、今回は高木三四郎選手に、どうしてプロレス団体が飲食業を手掛けるようになったか、DDTプロレスリング(以下、DDT)を語るうえで外せない「路上プロレス」とはどんなプロレスなのかお聞きしました。
本屋やホームセンター、リング以外の場所で行う路上プロレス
──(肩を気にするしぐさをする高木選手を見て)肩が痛そうですよね……。
「五十肩が本当にひどくてね……。神経を触っちゃって、重症なんです。ケガでの長期欠場って、今までなかったんですけれどね」
──でも両国国技館の興行(2022年3月19日東京女子プロレス、3月20日DDT)は、両日出場されていましたよね。ハイパーミサヲ(東京女子プロレス所属)選手のコスチュームを、身体にペインティングして登場したのには、驚かされましたよ(笑)
「初日のハイパーミサヲ戦でかなり痛めてしまって。肩が上がらなくなって。次の日の中澤マイケル戦は肩が動かない状態でやっていました。片手で大丈夫かなって思ったら、片手で勝てました(笑)」
──両国ではリングから飛び出し、男子トイレでも技をかけたりされていましたが……。
「2019年の時点で、路上プロレスはやらないでくれっていうお達しが国技館側からあったんです。本当はもっとやりたかったのですが、あれが限界でしたね」
──DDTの定番ともなったリング以外の場所でプロレスを行う「路上プロレス」ですが、どこで始めたのがきっかけだったのですか。
「最初は『本屋プロレス』(2008年に伊野尾書店で行われた飯伏幸太選手と高木選手のシングルマッチ)です。あとは、『キャンプ場プロレス』(2008年以降、『ネイチャーランド・オム』で不定期開催)とか。路上プロレスの型がなかったから、どうやれば危なくないのかもわかっていなかった。飯伏(飯伏幸太・現在はDDT退団、新日本プロレス所属)からジャーマン(ジャーマン・スープレックス=相手を後ろに投げる技)でコンクリにたたきつけられたりして。飯伏は、僕だったら受けられると思ってやったらしいですが(笑)。今は、ここまでなら大丈夫っていう範囲がわかってきた」
──路上プロレスって、危険なのですね。では、路上プロレスは通常のプロレスとどのような点が違いますか?
「路上プロレスって、普通のプロレスと見せ方が違うんですよ。いわゆる場外乱闘ですね。場外乱闘の見せ方に特化したのが路上プロレスです」
──路上プロレスでは、自販機の上から選手が飛んだり、ホームセンターの壁に穴を開けたこともありましたよね。周りから怒られたりされませんでしたか?
「怒られないですね。でも、器物破損系はかなり気を遣います。そこが無差別になると、“結局、物が壊れるのがプロレスじゃん”って思われるのが嫌なんです。迷惑をかけないで、器物破損をしないプロレスをやるんです“っていうのが路上プロレスの売りだったりするんです」