プロレス団体が飲食店を経営。ファンにも選手からも必要とされる店
──DDTグループは、新宿に3店舗の飲食店を経営しています。こちらはいつ頃から始められたのですか?
「2007年頃です。最初に新宿の区役所通りに『プロレス&スポーツBarドロップキック』を出しました。その時から、選手が働いていました。当時からレスラーが経営している店はあったんですが、プロレス団体が経営する店はなかった」
──どうして、飲食店を始めようと思ったのですか?
「プロレスを見終わった後に、ファンの皆さんが楽しめる場所を作りたいというのがあった。あとはプロレス一本で食べていけないレスラーが多かったので、収入の確保のためっていうのもありましたね」
──最初の1店舗目から、経営は順調でしたか?
「『ドロップキック』がうまくいって、2号店として中野でカレー屋を始めたんです。でも、食事だけの店ってプロレスファンとうまくマッチしなくて。そこで、居酒屋という業態の『エビスコ酒場』を歌舞伎町に2009年にオープンしました。居酒屋にしたのはもう1つ理由があって、抱えている選手が増えてきた。でもバーだとシフトに入れるのは2、3人。そのためにも店舗数を増やすしかなかったんです」
──店舗で働いている選手からは、どう言われていましたか?
「ケガなどで休場した場合でも、選手にとって食い扶持があるのはよかったみたいです。団体としては、プロレス団体って信用がないから銀行からなかなかお金を貸してもらえない。でも、飲食店だとわりと貸してもらえるんです(笑)。“お金なくなってきたな……って思うと、”じゃあ、飲食店を出そう”って。当時は1年に1店舗ペースで出していました」
──コロナ禍になってからは、飲食業の経営は大丈夫でしたか?
「コロナ禍は興行もできないし、飲食店も営業ができなくてダブルパンチを食らいました。いろいろな業態を見ていて、“これはもうオンラインしかないよな”って思った。そこで、オンライン営業に振り切りました。レスラーはタレント的な側面もあるから、オンライン飲み会の形で営業はできたんです」
──オンライン営業を始めたきっかけはありましたか?
「いろいろなところに、ヒントって落ちているんですよ。グラビアアイドルが“オンライン飲み会やります”って告知をしていて、興味半分で見てみた。するとイベント券を買うと飲み会に参加できて、50人ぐらい集まっていたんです。店舗で50人のイベントをやるって大変ですが、それができるのってオンラインの強みだよなって思った。そこから、“これならプロレスでもできるんじゃないかな”ってひらめいたのがきっかけです。今、DDTが行っているオンラインサイン会もそうで、アイドルのサイン会がオンラインで開催されていたのでそれを取り入れた」
──コロナ前のようなリアルでの観戦は、まだ難しい状況だと思います。今後のDDTの運営はどのようにしていこうと考えていますか?
「『WRESTLE UNIVERSE』の加入者を増やしていきたい。今回のコロナ禍で、興行とかリアルな部分で応援するスタイルと、メディアを通して応援するスタイルとがくっきり分かれたと思うんです。でもコロナ禍では、かつてテレビなどでプロレスを見ていた層を新たに掘り起こせたんじゃないかって思っています」
若手と戦うのが、最高のアンチエイジング!
──お会いすると、非常に若々しい印象を受けるのですが、若さを保つにはどのようなことをされていますか?
「若い選手と戦うことですね。50代同士で戦っても面白くないんですよ。刺激もないし、何ら得ることがない。僕の中ではMAO(DDT所属。25歳の若手レスラー)とやった抗争は、自分をリフレッシュさせるために戦っていた部分はありますね」
──MAO選手と言えば、試合中に車を運転し、高木社長を車ではねましたよね。
「MAOは“社長をひいた男”というのをアピールしている。試合って、1つの作品みたいなもの。僕と試合したことで、彼が世に出るのならそれでいい。若い選手と試合をしていると、楽しいんです。どうやって倒してやろう、インパクトを与えてやろうって浮かんでくる」
──常に、若い世代と戦っているのが、刺激になるのですね。
「若手に対して、“このやろう”って思える。自分が年を取っていると思われたくないから、若手とは常に対峙(たいじ)していないとだめなんです。それがアンチエイジングというか、老化を防ぐには若手と戦うのが一番なんです(笑)」
──では、何歳までレスラーを続けたいですか? 今は70代のレスラーもいらっしゃいますが……。
「引退はあまりしたくない。引退して復帰するっていうのが一番嫌なんです。お客さんにうそをついちゃうことになるから。だったら、フェードアウトしちゃうほうがいいかなって。もしレスラーを辞めるなら、引退試合って言わないで消えるほうを選びます。何かで区切りをつけて引退するっていうのは考えていないですね」
50代になってもなお、リングでは若手以上に暴れまわる高木選手。常に新しいことを手がけていく姿勢が、プロレスファン以外にも支持されているのかもしれない。
*取材協力:DDTプロレスリング・Bar Lounge SWANDIVE
(取材・文/池守りぜね)
〈PROFILE〉
高木三四郎(たかぎ さんしろう)
1970年1月13日生まれ。大阪府豊中市出身。株式会社CyberFight代表取締役社長であり、現役プロレスラー。1995年にプロレスラーとしてデビュー。1997年にDDTプロレスリングを旗揚げし、2006年に社長に就任。業界きってのアイデアマンであり、文化系と言われるエンタメ性の高い興行で日本武道館や両国国技館での大会を成功させる。2017年9月、サイバーエージェントグループに参画。著書に『年商500万円の弱小プロレス団体が上場企業のグループ入りするまで』(徳間書店)、『俺たち文化系プロレスDDT』(太田出版)がある。
●6月12日にさいたまスーパーアリーナ・メインアリーナで、DDTプロレスリング、プロレスリング・ノア、東京女子プロレス、ガンバレ☆プロレスの傘下4団体による合同興行「CyberFight Festival 2022」を今年も開催!!
『CyberFight Festival 2022』
2022年6月12日(日) 開場12:00 開始14:00
埼玉・さいたまスーパーアリーナ・メインアリーナ
★同大会は、2週間無料トライアル実施中の動画配信サービス「WRESTLE UNIVERSE」で独占生配信!
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