妖怪、怪獣、幽霊、都市伝説……道理では説明できない異様なさまを、ときに人は「怪異」と呼ぶ。「怪異」は古代から現代まで常に生まれ続けており、恐ろしいし気持ち悪い。でも、なんか気になっちゃう。見ちゃいけないと思いつつも、おそるおそる障子の隙間をのぞいてしまう。言語化が難しい、不思議な魅力を持つ存在である。
そんな「怪異」にまつわる事典を次々に発刊しているのが朝里樹(あさざと・いつき)さんだ。いま書店のホラーコーナーには、朝里さんの著書がずらりと並んでいる。これまでにも「妖怪」や「怪獣」というジャンルでまとめた図鑑はあった。しかし彼の著書は「江戸時代の妖怪」から「2ちゃんねる発の都市伝説」まで、とんでもなく幅広い。広く浅くでも、狭く深くでもない。“広く深く”まとめられている。
今回はそんな怪異妖怪愛好家・朝里樹さんにインタビュー。「“取りつかれた”かのように怪異を調べまくってきた31年の人生」を深掘りながら、なぜ長年にわたって怪異を愛し続けていられるのか、そして、何かに取りつかれたように、ひとつのことに没頭するためのアドバイスについても語っていただいた。
物心ついたときから「怪異一筋」、推しは『学校の怪談』だった
──朝里さんの『創作怪異怪物事典』を拝読して、その情報量にめちゃめちゃびっくりしました。これまでにどれくらいの怪異をまとめてこられたんですか?
「戦後に生まれた現代のものだけでも2000以上はあると思います。それ以前を含めると4000とか5000くらい……いや、もっとありますね」
──そもそも怪異って、そんなに存在するんですね……。さらにびっくりしたのが、朝里さんの本業は学者や研究者でなく、北海道で「公務員」をされているそうですね。
「そうです。なので土日や終業後などの空いた時間でリサーチをしています」
──どのような経緯で出版をすることになったんですか?
「もともと同人誌として“現代怪異をまとめた図鑑”を作って、Twitterで告知をしながら販売していたんですよ。それが國學院大學で民俗学などの教授をされている飯倉義之先生に伝わって、出版社の方を紹介していただいた、という経緯です」
──民俗学の先生が舌を巻くレベルだったのが、資料の完成度の高さを伺わせます。ちょっともう、公務員の趣味のレベルを超越している……。
「飯倉先生から、“うちの研究科の教育資料として同人誌を使わせてほしい”と連絡があったときはうれしかったですね。まさか個人的な趣味で作っていたデータベースが仕事になるなんて……という感じです(笑)」
──むしろ「はじめは個人的な趣味だった」というのが個人的にツボでして……「アクセル全開の怪異オタクだったんだろうなぁ」と(笑)。いつごろから怪異の類が好きだったんでしょう?
「物心ついたときから好きでしたね。もともと父親がウルトラマン第1世代だったので、幼稚園のころから『ウルトラQ』や『ウルトラマン』(TBS系列)を見ていました。それで『ゴジラ』や『エイリアン』といった映画も好きになりましたね」
──幼稚園のころから「異形もの」にどっぷりだったんですね。特に『ウルトラQ』は平成生まれの幼稚園児で見ている人、きっといないですよ(笑)。だいぶ渋いですよね。
「ウルトラマンも出てきませんしね(笑)。それでも怪獣を見ているのが楽しかったんです。その流れで幼稚園のころから『ゲゲゲの鬼太郎』(フジテレビ系)のテレビアニメをよく見るようになりました。これが今の活動にいたる原体験ですね」
──小学校に入っても好きなものは変わらず?
「小学校に入学したあとに、常光徹先生の『学校の怪談』シリーズ(講談社刊)にハマったんです」
──懐かしい! 朝里さんは1990年生まれということで、私も同世代なのでよくわかるんですが、小学校低学年のころは、みんな図書室で「学校の怪談」を読んでいた記憶があります。
「ブームでしたよね。『学校の怪談』には全国の小中学生が自分の学校で起こる怪奇現象のエピソードを投稿していました。『理科室の人体模型が夜になると動き出すんです……』みたいな。
『ゲゲゲの鬼太郎』をはじめ、妖怪モノの作品って『今もあなたの周りにいるかもしれない』っていう描かれ方ですけど、小学生になると、さすがに“現実にはいない”って気づくんですよね(笑)。でも『学校の怪談』は身近な怪異についてのノンフィクションとして描かれていたので、“自分の学校でも現れるんじゃないか”って。それがリアルで怖かったんですよ」
──なるほど。当時「怖っ、もう読むのやめよう」とは思わなかったんですか?
「怖かったですし、“電気をつけないと寝られない”とか、ありましたよ(笑)。でも、それがくせになっているのは自覚していましたね。“怖いと感じること”をわかっていたうえで、あのゾワッとする感覚が好きで求めていたんだと思います。この感覚を卒業せずに、今に至るという(笑)」