──いやぁ、面白いです。まさに怪異は人の生活に根差しながら進化しているわけですね。ちなみに中高生の当時、朝里さん自身は怪異のことを発信していなかったんですか?

当時は、ただ調べるだけで終わっていましたね。記録を付け始めたのは大学生からです。大学入学とともに自分のパソコンが手に入ったんですよね。それで、最初はあくまで自分用にエクセルで怪異をまとめ始めました

──最初は自分用だったんですね。

「はい。そのときにTwitterで妖怪や怪獣などの同人誌を作っている方の投稿を見ていたんです。それで、“戦後の怪異だけをまとめた事典は世にないから、自分で作ってみようか”と。

 でも、大学生なので印刷するお金もないじゃないですか。だから公務員として就職してから製本して、『BOOTH』という通販サイトで50部だけ販売したんですよ。そしたら一瞬で売り切れたんです。それで『50部刷っては売って』を繰り返していました

──すごい。そこから冒頭の出版の話に至るわけですか。

「はい。出版するときに『学校の怪談』の著者・常光徹先生に帯を書いていただきました。自分が怪異に本格的にハマるきっかけになった常光先生がデビュー作の帯を書いてくださったわけですから、感動しましたね

デビュー作の『日本現代怪異事典』(朝里樹著/笠間書院刊)では『学校の怪談』の著者・常光徹さんが帯を書いた ※記事中の写真をクリックするとアマゾンの商品紹介ページにジャンプします

──おぉ。すてきなエピソードです。本当に「朝里さんの31年は怪異でできている」ということがよくわかるし、怪異にハマったからこそ、人生を楽しめたことが伝わりますね。今後は朝里さんの本がきっかけで怪異にハマる小学生も現れるんじゃないですか?(笑)。

「そういった子がいたら嬉しいですね。もしその子が大人になって出版をした際には、私が帯を書きたい(笑)

──(笑)。しかし31年間「もういいや」という感情にならないのが、朝里さんのオタク力の真骨頂だな、と思います。「なにかにハマりたいけどすぐに飽きてしまう」という方にアドバイスをいただいてもいいですか?

「そうですね……。私は『興味をもったこと』に対して “触れる”だけでなく、“意識して深く調べてみる”ということが大事だと思います。すると、すでに知っているジャンルでも、知らない世界が見えてくるんですよ。その世界について、また深く調べてみる。そうしたら、さらに未知の領域が見えてきます。それをまた調べる……。この繰り返しだと思いますね。

 例えば、僕だったら『学校の怪談』で校内の怪異に興味を持った。インターネットで調べるうちに『大人の世界の怪異』を知った。それを調べると、古くからの妖怪や民俗学との関連性に気づいた……といったサイクルでした。すると、いつの間にか沼にハマって抜け出せないくらい没頭できるんです

──なるほど。常に新しい刺激が見つかるので、新鮮な気持ちで“オタ活”を続けられるんですね。

「はい。繰り返しになりますが、まずは触るだけで終わらず、休日などを使って思いきって深く調べてみる。それが何かにハマる第一歩だと思います
 

◇   ◇   ◇

思いきって“呪い”にかかることが人生を豊かにすることもある

「怪異の類は直感的には嫌われがちですが、結局のところみんな興味があるんですよ」

 朝里さんはニコニコしながらそうおっしゃる。めちゃめちゃ分かる。そうなんです。夜、ベッドのなかで換気扇の音を聞きながら死ぬほど後悔するけど、ついつい怪異をのぞいちゃう。これは、きっと何百年も前から変わらない。江戸の武士も昼にうっかり『雨月物語』なんかを読んで、布団のなかでねずみが走る音を聞きながら「な、なにやつ……?」と手汗まみれで刀を握っていたに違いない。

 かつての「不幸の手紙」は「チェーンメール」になり、今では「チェーンリツイート」になっているそうだ。次の人に回したくなるのは「人はどこかで怪異を本気で信じている」からだといえる。時代が変わり、これだけテクノロジーが発展しても、呪いへの興味は変わらない。

 さて、朝里さんの言うとおり、思い切って「興味」に没入することが何かを極めるうえで重要なことであるこれは(ポジティブな意味で)呪いにかかることだ、といってもいい。呪いは単にネガティブなものではない。呪われるからこそ、人生が豊かになることもある。朝里さんの人生を伺って、心底そう感じた。

 怪異に限らず、アニメにしろ、スポーツにしろ、“興味”を抱いた際は、思い切って呪われてみる……つまり、不幸の手紙を次の人に回さずに持っておいてはどうだろう。すると、朝里さんのように“広く深い世界”が見えてくるかもしれない

(取材・文/ジュウ・ショ)