先日ふとテレビをつけると、小倉百人一首かるた選手権大会の模様が流れていました。高校生たちがとんでもないスピードで札を取り合うのをまじまじと見てしまったのですが、そういえば自分も中学の時、学校内の大会で学年準優勝したなあと懐かしく思い出しました。

 勉強に部活に学校行事にとがんばっていたのはもちろん、謎に小倉百人一首を全首覚えることに熱心だったあの頃。なかでも記憶に残っているのが、今回ご紹介する第97番、「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くやもしほの身もこがれつつ」です。意味は「会うことを約束したはずなのに、いくら待ってもやって来ない人を待つ私は、あの松帆の浦の夕なぎどきに焼いている藻塩のように、身も焦がれるほどに来ぬ人を恋い続けている」(『大修館国語要覧』より)。こんなに切なく情熱的な歌が詠めるなんてすごいなあと思ったものです。

 詠んだのは、権中納言定家(藤原定家)。平安末期・鎌倉初期の代表的歌人で、『新古今集』の撰に加わり、『小倉百人一首』を編纂したことで知られています。

 この小倉百人一首、四季の歌では「秋」が最も多く、素材的には「恋」が圧しているとのこと。あいにく(幸い?)藻塩のように身を焦がしたことはありませんが、いま改めて秀歌に触れ、悠久の時と情緒に浸ってみるのもいいかもしれません。(福)