令和になってから加速度的に使われるようになった、「推し」という言葉。特定の人物、キャラクター、作品、グループなどへの熱狂的な愛情を表現する言葉として使われ、「箱推し」「神推し」「激推し」「推しごと」などの派生語が沢山あります。

 この「推し」という言葉は、1980年代のアイドルブームが発端とされており、2011年にはアイドルグループ・AKB48の人気投票時に使われた「推しメン」、2021年には推しを様々な形で応援する活動を指した「推し活」がそれぞれ流行語大賞にノミネートされています。

 まさに日本の産業と生活と健康を支える推しという概念。

「推しが生きてるだけで幸せ……」
「オタクの行動で推しの評価が決まる」
「(推しのグッズを)買った瞬間の満足感でお釣りがくる」

などなど、SNSでも日々、皆さんの推しへの愛が語られています。すばらしい。作品だけでなく、向かう気持ちもこんなに強い。これぞクールジャパンといって過言ではないでしょう。

 かくいう私も、「推し」にあたる作品やキャラクターがいますが、ネット上でのユーザーの声を見ると、金銭面やクオリティ面へのさまざまな言葉が飛び交います。

 好き嫌いは人によりけりなので、もちろんそこは否定しません。ただ、作品を“見せてもらっている”ではなく“見てあげている”というスタンスで何かを語る方がちらほら見受けられるなあと、スマホを眺めながら思う今日この頃。ましてや自分の推しと比較して他の推しを否定するなどもってのほか。

 持ちつ持たれつ、推しつ推されつ、ファンも演者もクリエイターも会社も、国籍や年代、文化も問わず、世界中のみんなが仲良くなれればいいのにという、人類平和の根源みたいなことをふと考えてしまいました。こう考えさせてくれたのも推しのおかげですね。尊い(西)