●以下に記される文は、筆者が「説明不足、説明過多、その塩梅(※)は難しい」という趣旨を伝えるために執筆された文章です。

※塩梅(あんばい):料理の味加減や事の具合、バランスをあらわす際に使われる言葉

 日々、編集や執筆業務をしていると

「説明しすぎかな?」
「ここは解説入れた方がいいのかな?」

 という葛藤が多々あります。説明しすぎてしまったら興ざめだけど、かといって何もしないと読者を置いてけぼりにしてしまう……(ちなみに置いてけぼりは江戸本所七不思議のひとつ「置いてけ堀」の故事に由来します)。

 例えばドラマでこんなシーンがあったとします。

「外は雨が降っており、夜の暗いトンネルの中、うなだれる男性が静かに涙を流している」

 そして、テロップにこのように書かれていたとしましょう。

「この男性は好きだった相手にフラれてしまい意気消沈している状態です。このシーンは、そんな男性の心理描写を的確に表現するために、少し暗めのトーンで撮影をしています」

 どうでしょうか。シンプルに視聴者としては興ざめです。なぜなら、そんなことはわかりきっていることであり、その解釈は各々が考えるものだから。皆さんご存じ、貝木泥舟もこれに近い言葉を作中で言っていますよね。フィクション作品を例に挙げましたが、これはノンフィクションでも同じこと。

 

 

 

 そして皆さんお気づきかと思いますが、この文章自体も同じです。まず冒頭の注釈はネタバレにもなり、趣旨は読み手が判断することでわざわざ記載する必要はない。「塩梅」や「置いてけぼり」の補足情報は文の主題ではなく蛇足で、突然出てきた貝木泥舟(西尾維新/物語シリーズ)は説明不足で原作を知らない方にとっては知る由もない。

 かなり極端な文章を並べましたが、人によってはこの段落すらも「説明過多」と捉えられるかもしれません。“読者目線”のバランスは非常に難しいところですが、いろんな作品に触れ、いろんな言葉に触れ、いろんな方々の気持ちを推し量ることでしか養えないのかもしれません。

 あ、そうそう。いろんな言葉といえばこのコトバスケットも同じかもしれませんね。そもそもコトバスケットは言葉とバスケットを組み合あわs(西)