「自分にも何かできたはずなのに」妹は涙ながらに訴えた

 6年前に結婚して家を出た妹は、涙をぬぐいながら法廷で訴えた。

 「(兄には)刑務所に入らないでほしい。母の世話をすべて任せきりにしていた。自分にも何かできたはずなのに……」

 弁護士の「お兄さんひとりに責任を負わせるわけにはいかない、という思いですか?」という問いには「はい。兄の社会復帰を手伝いたいと思っています」と。

 裁判官からも妹に対して質問があった。

 「事件について気持ちの整理はついていますか?」

 「いえ、あまり」

 「母親については、いい思い出がないということですか?」

 「はい」

 「やはり、そうですか」

 「でも、母親は母親なので……」

 続いて証言台に立った実父も、佐久間被告を擁護する証言をした。

「息子とは年に一度くらい連絡を取っていましたが、私に相談することはありませんでした。別れた妻(被告の母)の面倒を見ていたことで、相当なストレスを感じてただろう、と思います。社会復帰後は、できるだけ手助けしたい。自分の仕事を手伝わせたい」

 法廷での佐久間被告は、小柄でやせていて、憔悴(しょうすい)しきっているように見えた。妹と実父の証言をうつむいたままの姿勢で、時折涙をぬぐいながら聞いていた。

 30歳を過ぎたころから、被告は外部との関係をほとんど断つ生活をしていた。7年前から携帯電話も持っていない。

 裁判官は被告に質問する。

 「あなたとお母さんの関係は狂気だと思うが、どう思いますか?」

 「母は普通じゃない人間だったが、自分も普通じゃないことばかりやってきた」

 「自分の息子から一方的に暴力をふるわれて、やり返す力も気力もない、お母さんがどんな気持ちだったか、考えますか?」

 「……苦しかっただろうな、と思います。母に対して、自分の完璧主義の考えを押しつけてしまったうまくいかないと暴力に頼ってしまった

 「お母さんに対する復讐ですか?」

 「恨みや憎しみはありませんでした。身勝手な行動で、母に対して取り返しのつかないことをしてしまった。謝っても謝りきれません」

 検察官の求刑は懲役7年。罪名は傷害致死。

 検察官は「途中で犯行を思いとどまって119番通報することもできた。予定されていた訪問介護を断ったのは、犯行が発覚するのを恐れたため」。

 被告の弁護士は、「暴行は日常的に行われていなかった。訪問介護の看護師も医師もアザがないことを確認している。閉鎖された環境で、犯行がエスカレートしてしまった」と主張した。