先日、TBSの安住紳一郎アナウンサーが「慧眼」(けいがん)をずっと「すいがん」と読み間違えていたことを告白していました。ご本人は不明を大いに恥じておられました。確かに「彗星」(すいせい)の「すい」に似ていますものね。ちなみに慧眼とは「物事の本質を見抜く優れた眼力」と辞書にあります。
私も「袖振り合うも多生他生の縁」の「他生」をずっと「多少」だと思っていました。「見知らぬ人との出会いというのも多少の縁があってこそ」と勝手に解釈していました。本来は「道でふとすれ違うような人とでも前世からの因縁がある」転じて「どんな些細なことも前世からの縁によって起こるもの」という意味だそう。
この思い違いに全く気づかないママ数十年も過ごしてきました。ある日、この言葉をパソコンで打っていると「多少」が「他生」と変換されます。その度に「多少」に修正していたのですが、ふと気になって自分で調べてみて、間違いに気づいたのです。恥ずかしい……。安住アナの件での「慧眼」も私の「袖振りあう」も日常生活で頻繁に使う言葉ではないですし、間違いに気づくのに時間がかかったのも仕方ないことのように思いました。
言い間違いや勘違いは誰にでもあります。私の社会人経験で知り得たもののほんの一部を紹介します!決してネタではありません、全て実話です。
「右往左往」を「うじゅうさじゅう」、正解は「うおうさおう」。「矢面」を「やめん」、正解は「やおもて」。「適宜」を「てきせん」、正解は「てきぎ」。
最後に「来年のことを言うと鬼が笑う」を「来年のことを言うと鬼が豆撒く」と平然と話した方がいました。どうしてこんなことになっちゃったのか? いまだに謎です。(文)