ドラマや映画、アニメや、マンガや小説、絵画といった“作品”には、ファンや視聴者の間で必ずと言っていいほど、「考察」が生まれます。考察とは《物事を明らかにするためによく考え調べること・論ずること》であり、最近であれば、日曜劇場『VIVANT』(TBS)に関する考察記事がよく読まれるようです。皆さんの中でも、作品そのものの展開だけでなく、誰かの考察を見ながら楽しむ方も多いのではないでしょうか。
「あのセリフの意味は?」
「なぜあの時、主人公はあの行動をとったのか?」
「幼少期の経験があるのでは? はたまた、〇話で語られたあれは何かの伏線?」
ファンを中心に作品の話は盛り上がり、最近ではSNSで考察してもらうことを目的に作品づくりを行うケースも少なくないのだとか。
自分もご多分に漏れず考察が好きなのですが、その魅力はなんといっても、“考察自体が間違っていても楽しめる事”だと感じています。映像作品であれば場面やセリフ、表情やBGM、本であれば表紙のデザインや発行年月等、その作品を形作るすべての要素が「考察」の材料になります。いろんな人が思考を巡らせ、意見を言い合い、それが作品で明らかになったとき、考察が当たっていようがいまいが、改めてその作品の魅力を感じることができる。フランスの哲学者・パスカルの云う「人間は考える葦(あし)である」をそのまま体現したようなエンタメの楽しみ方が、「考察」にはあると思います。
“自分はこう思う!”“いやいや私はこうだと思う!”という意見を見て聞いて、考える過程そのものも含めて作品を楽しむ。前のコトバスにも同じようなことを書きましたが、“正解のないこと”に夢中になることも、人生の楽しみ方なのだと信じています(西)