フィクション系の作品によくある展開に「夢オチ」があります。夢オチとは、これまで起こった出来事がすべて夢だった……という結論になる展開。イギリスの某有名小説でも描かれていた手法です。

 冒頭のコトバス「また夢になるといけねえ」は、落語の有名な演目『芝浜』の名文句。酒浸りの自堕落な生活を送っていた亭主はある日、大金を拾いますが、その妻は「金欲しさのあまり、酔った紛れに夢でも見たんじゃないの?」と一芝居を打ちます。せっかくの大金が入ったと思ったのに……と愕然とした亭主は、その後改心して死に物狂いで働き、酒浸りの日々から抜け出し生活も無事安定。そんなあるとき、妻から「実はあの時の大金は夢じゃない。本当だったんだ」と告げられます。怠惰な自分を真人間にするために機転を利かせてくれた妻に亭主は感謝し、妻はそんな亭主に久しぶりのお酒を勧めます。そしてお酒を口元まで運んだ後、その杯を置きこう言いました

「よそう。また夢になるといけねえ」

『芝浜』は、古今亭志ん生、立川談志、三遊亭円楽らが十八番にしていた演目として知られ、初代・三遊亭圓朝の三題噺(客から3つのお題を貰い即興で演じる落語のこと)が元になっていると言われています。社会人になりたての頃に初めて聞いた落語でしたが、亭主の成長、妻の機転と愛、2人が寄り添い互いに幸せになっていく人情物語として感動したのを覚えています。

 最近「宝くじとか当たんねえかな」というしょうもない妄想をしていたとき、なぜかふと思い出したのですが(笑)。分不相応だと思えるような幸運な状況も、そこに胡坐をかいてしまえばそれは “ただの幸運”にしかなりません。自分の状況が最高の時も、這いつくばって悔しいときも、そのことに一喜一憂せずただひたすらに物事を成せるような人間になりたいものです。(西)