「先生たちは子どもの心が見えなくなっています」残業代を求める裁判を起こした教員が訴える、“先生の多忙化”でいちばん心配なこと 学校の先生は、どんな仕事で日々忙しくしているのでしょうか? 学校の先生にも残業代を求める裁判を起こした2018年、3年生のクラス担任をしていた田中まさおさんは1週間のタイムスケジュールを裁判所に提出しました。それをもとに、田中さんに解説してもらいます。(以下、語り:田中まさお/聞き書き:牧内昇平) 2023.03.16 07.00
【教員の残業代裁判#1】「先生を8時間以上働かせるのは法律違反」なのに“無賃残業“がまかりとおっているワケ 学校の先生の働きすぎ問題は深刻です。文部科学省の教員勤務実態調査(2016年)によると、「過労死ライン(1か月に80時間超の時間外労働)」を超えて働いている先生の割合は、公立小学校で3割超、中学で約6割にのぼっていました。これを「異常」と言わずして、何と言ったらいいでしょうか? 全国の忙しすぎる先生たちを救うために様々な議論が始まっています。田中まさおさんも、先生に残業代を求める裁判を通じて自らの考えをアピールしてきました。どんな考えなのか、聞いてみました。 2023.03.09 07.00
【教員の残業代裁判#0】小学校3割超、中学は約6割の先生が過労死ライン超え! 現状を変えるべく立ち上がった「田中まさお」さんとは 埼玉県内のとある小学校で教える「田中まさお」さん(仮名)。全国の先生たちの“働きすぎ状態”を変えるため、たったひとりで裁判を起こしたことで大きな注目を集めています。でも、田中さんの本当の活躍の場は「法廷」ではありません。「教室」です。教員生活40年、教え子の数は約1000人。ベテラン先生がいま、伝えたいメッセージとは……。 2023.03.08 20.00
小学校教諭の『自主的・自発的な仕事』とは?「先生の無賃残業をなくして」と訴えた教員が高裁敗訴の感想を語る 「学校の先生に残業代が出ないのはおかしい!」と訴えた現役教員、「田中まさおさん(仮名)」の裁判は、2022年8月25日に東京高裁で判決がありました。高裁は「教員の仕事は特殊なので、一般の労働者と同じ時間管理と賃金制度はなじまない」とし、田中さんの訴えを退けました。判決の感想を田中さんに聞きました。 2022.09.07 20.00
原発事故後はじめて双葉町の「避難指示」が一部解除に、住民に向け“新しい看板”をつくった原発PR標語作者の胸中 2011年の原発事故によって「全町避難」を強いられてきた福島県双葉町で、 '22年8月30日、町の中心部の避難指示が解除された。町内に住めるようになるのは事故以来、初めてだ。住民が戻ってくるタイミングに合わせて、この町に新しい看板をつくった人がいる。かつて町のシンボルだった原子力広報看板、〈原子力明るい未来のエネルギー〉の標語を考えた大沼勇治さん(46)だ。新しい看板に込めた思いを聞いた。 2022.09.05 12.00
「先生にも残業代を払って!」定年間際に裁判を起こした小学校の先生の思いと“何よりも求めるもの” サラリーマンは1日8時間以上働くと「残業代」が出ます。でも、学校の先生には残業代が出ません。「給特法」という特別な法律があり、給料の4%にあたる「教職調整額」が支給されるかわりに、働いた時間に応じた残業代が出ない仕組みになっています。「これはおかしい。先生にも残業代を払って!」と言って、裁判を起こした現役の先生がいます。定年を迎える1年前に提訴。さいたま地裁では敗訴しましたが、東京高裁に控訴しています。なぜ裁判を起こしたのでしょうか? 2022.07.04 20.00
「一週間くらい何度も練習しましたよ」町の美容室のおばちゃんが“生業訴訟”の最高裁で語った故郷への思い 5000人を超える原告たちの思いを背負って最高裁に立ったのは、町の美容室のおばちゃんだった……。福島第一原発事故の被害者たちが国を訴えた「生業を返せ、地域を返せ! 福島原発訴訟(生業訴訟)」の最高裁弁論が4月25日にあった。法廷で意見を述べる原告はたった1人。その大役を任されたのは、深谷敬子さん(77)だった。原発事故で避難するまで数十年、福島の浜通り(太平洋沿い)で美容院を開いてきた。「水商売用のアップが得意だったの」と言う町のパーマ屋さんは、司法の最高機関で何を語ったのか? 2022.06.06 19.00
“いい事いっぺ来い来いどーんと来い!”東北の歌姫、原発事故を受けて「全村避難」した村で歌う “東北のみんなさ、いい事いっぺ来い来いどーんと来い!”。東北を代表する歌姫と言えばこの人、上々颱風のボーカリストとして知られる白崎映美さんだ。山形県出身の白崎さんは東日本大震災のあと、東北ゆかりのミュージシャンを集めて「白崎映美&東北6県ろ〜るショー!!」を結成した。そんな白崎さんが5月7日、福島県飯舘村を訪れてコンサートを開いた。原発事故の影響による「全村避難」を強いられた村人たちに、白崎さんたちが届けた歌は──。 2022.05.17 12.00
原発PR標語の考案者が「12年目のリスタート」、故郷・福島とウクライナにはせる“強い思い” 「原子力明るい未来のエネルギー」原発PRの標語を考えたことで知られる大沼勇治さん(46)は今年の夏、悩みながら「新たなスタート」を切ろうとしている。故郷の福島県双葉町で避難指示が解除される。子どものことを考えると、町に帰ることはできない。けれど、町で暮らしたい人のために何かできないか──。悩んだ末、事故前のアパート事業を再開させることにした。「明るい未来はなかったけれど、やっぱり故郷は故郷。縁を切りたくないんです」ウクライナで故郷を追われている人々にも思いをはせつつ、大沼さんの新たな挑戦が始まる。 2022.05.10 20.00
「施設を作るだけでマイナス」と言われても、福島に原子力災害考証館ができた理由 2021年3月12日、福島県いわき市にある老舗温泉旅館の一室に、「原子力災害考証館 furusato」ができました。旅館の主人の里見喜生さん(53)は、「観光地にマイナスになる」という周囲の心配を受け止めつつ、原発事故やエネルギー問題を考えるための施設をオープンさせました。「民間の人間として、原子力災害の被災地の”声なき声”を伝えたい」──。里見さんが考証館に込めた思いを聞きました。 2021.10.11 19.00