【10代を生き抜いて、いま#3】場面緘黙症を克服しても苦しみは終わらなかった──不登校だった中学生の私へ フリーライター・若林理央さんによる短期連載【10代を生き抜いて、いま】。幼少期から思春期にかけて病気や両親の離婚、いじめや不登校などを経験し、大きな「生きづらさ」を抱えながら生きてきた若林さんが、忘れがたいエピソードの数々をつづります。第3弾では、場面緘黙症(ばめんかもくしょう)を克服後の、周囲になじむことができず、不登校になった中学生時代を振り返ります。 2022.11.08 17.00
【10代を生き抜いて、いま#2】場面緘黙症の私が、話せなくなる前の記憶──心にあり続ける“寂しさ”の理由は フリーライター・若林理央さんによる短期連載【10代を生き抜いて、いま】。幼少期から思春期にかけて病気や両親の離婚、いじめや不登校などを経験し、大きな「生きづらさ」を抱えながら生きてきた若林さんが、忘れがたいエピソードの数々をつづります。第2弾では、場面緘黙症(ばめんかもくしょう)になる前の、幼少期に感じた孤独や寂しさ、そこから生まれる“また別の感情”について──。 2022.09.06 12.00
【10代を生き抜いて、いま#1】場面緘黙症の私を追い詰めたのは、あの日、先生が振りかざした「正しさ」 休み時間が怖い。みんなが急に話し出す。校庭で騒ぎ声が聞こえる。私はその中に、入りたくても入れない。小学1年生からの6年間、ずっとそうだ。言語能力は正常で、家の中や学校の授業で先生にあてられたときは、ほかの人と同じように話せるのに、休み時間や放課後になると話せなくなる。「なんで話さへんの?」と聞かれても、時にそれをクラスメイトから責められても、私は答えられなかった。私も理由がわからなかったからだ。これが、場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)という症状であることを私が知るのは成人してからで、このときは自分で自分を「ほかの子とは違う変な子」としか受け止めていなかったし、周囲もそうだったと思う。 2022.08.11 20.00
学校でどうしても話せない──「場面緘黙症」経験者の苦しみと“いま伝えたいこと” 「小学校の6年間、この子は場面緘黙症でした」母がそう言ったとき、自分の子ども時代にひとつの名前がついた気がした。バメンカンモクショウ。6年間、私は学校で同年代の子たちと話すことができなかった。あの経験には名前があったのか。言語能力には問題がないのに、家にいるときは楽しく会話ができるのに、学校でだけは話せなかったときのしんどさ。“自分は周りとは違う変な子どもなんだ”と思い込んでいた。だが、違った。私は「場面緘黙症の子ども」だったのだ。子ども時代は、社会生活において難なく話せるようになったいまの私と地続きになっている。 2021.12.22 17.00