誕生日のメールから約1か月後、両親のもとに悲報が届いた。 残された資料や両親への取材によると、遺体の第一発見者は未和さんと結婚を約束していた男性だった。7月末に横浜放送局への異動が決まっていた未和さんは、7月21日投開票の参院選が終わった後もまとまった休みをとることなく、仕事の整理や取材先へのあいさつ回りをこなしていた。

 23日は勤務後に職場の送別会があり、それに参加した未和さんは翌24日の午前3時ごろ婚約者に電話をかけ、「今から家に帰る」と話している。 夜が明けた24日、婚約者は何度か未和さんの携帯を鳴らしたが、応答がなかった。心配して翌25日に東京・世田谷区のマンションに行ってみると、未和さんは寝室のベッドの上で動かなくなっていた。

 世田谷区内の遺体安置所で、両親は棺に眠る娘と対面した。

 母の恵美子さんは、未和さんが手に携帯電話を握りしめたまま亡くなっていたことを聞き、胸がえぐられる思いだった。

「わたしに電話したかったのではないだろうか。どれだけ怖くて、苦しかっただろうか。娘の最期を思うと涙があふれて止まりませんでした。何を伝えたかったのだろう。どうしてそばにいてやれなかったのだろう、と、もうそればかり考えて……」

 告別式には多くの参列者が訪れた。遺体を火葬する前、婚約者の男性はその愛した女性の指に、結婚指輪をはめた。

過酷な労働、ずさんな管理

  翌年の2014年5月、未和さんの死は労災と認められた。渋谷労働基準監督署の認定によると、死亡前の1か月間、2013年6月下旬~7月下旬の労働時間は目を疑うような数字だった。

 1か月の休日は2日だけ。午前0時過ぎまで働いた日が15日もあった。渋谷労基署は1か月の時間外労働(残業)を159時間37分と出した。その前の1か月(5月下旬~6月下旬)は146時間57分だった。過労死ライン(「月平均80時間の残業」)の倍近い長時間残業を、未和さんは少なくとも2か月続けていたことになる。 

佐戸未和さんの、死亡前1か月間の勤務時間=筆者提供(※渋谷労基署の認定をもとに作成)