「演技では常に“ナチュラルさ”を意識していましたね」と、中野英雄

正直に、ありのままに

 あの頃から約30年が経った。「演技にのめり込んでいた日々だった」と当時を思い返すが、年齢を重ねるとともに心境には変化が。

「僕はいわば“下から出てきた人間”。もともと『劇男一世風靡』に入り、柳葉敏郎さんの付き人から始まって、脇役中の脇役なども経験してきました。その中で、主役の人の発言は聞くのに、下っ端の話には耳を貸さない監督もたくさん見てきた(笑)。でも僕は、間違っていないと思った意見は相手が誰であろうと、ちゃんと言います。いい作品づくりのためであれば。そして僕自身も、若い子の話をきちんと聞ける人間でありたい。

 でなければ、俳優をやっている意味もないと思うんです。このやり方で干されたらそれまでだし、それくらい腹をくくっていないと、芸能界では戦えないですから

 実は中野、過去にカレー屋や古着屋の経営にも戦いの場を広げたことがある。

「役者として忙しいのは30代半ばまでで、そこからはわりと暇になりましたね。絞られました(笑)。なので新しいことも始めてみましたが、飲食系や路面店だと自分がずっと現場にはいられないので、どうしても人任せになってしまって。それはやっぱりダメだなと思ったから、すぐに辞めてしまいました。今は、ネット限定のアパレルショップに携わっています。僕が服やキャップのデザインを考えたりしていますよ。

 最初こそ、全然売れなくて家族にも周りにもブーブー言われてましたけど(笑)。なんとか今は、少しずつ。商品が注目されるようになった大きなきっかけは、品川庄司の品川(祐)君がバラエティー番組で、僕があげたキャップを被ってくれたことかな……。最初は“僕、似合わないんですよ”って返されちゃったんだけど、“どこか行くときにでも被ってくれたらいいよ”って渡しておいたんです。最近では地元のスーパーでカップルが身につけてくれていたのを見て、感動しましたね

 取材日にも、自身が手掛けたブランドのファッションに身を包んで現場に現れ、「好きな服を着られることが楽しいんだ」と笑顔を見せた。

 芸能生活35年。俳優であり、同じ世界で切磋琢磨する息子・仲野太賀を誰より応援する父としての顔も持つ。

「今後はもう、できるだけ正直に生きていたいかな。メンタルが強いほうではなかったから、若いころは気性も荒かった。荒くならずにはいられなかったんですよね。でもこれからは、なるべく嘘をつかずに、ありのままの自分でいたいです」

(取材・文/高橋もも子)


【PROFILE】
中野英雄(なかの・ひでお) ◎1964年12月生まれ。京都府出身。'85年、哀川翔から『劇男一世風靡』に勧誘されたことをきっかけに芸能活動を開始。'92年、ドラマ『愛という名のもとに』で“チョロ”と呼ばれる真面目な青年を演じて人気を博す。その後も映画『アウトレイジ』シリーズや『首領への道』などのVシネ、各種テレビドラマ、バラエティ番組などに出演し、現在も幅広く活躍中。