長生きするために欠かさない“駆け引き”

 井上さんにとって長生きとは、できるだけ長く、人の手を借りずに飛んだり跳ねたりできること。こんなに毎日、すてきなこと楽しいことがいっぱいあるんだから、年を重ねてってなくすのはもったいないと言う。そして、長生きするために井上さんが欠かさないのが、日用品のストックを切らさないこと。

「なぜかというとね、空の“上”にいるお迎えに来る人が、さあ、そろそろ順を迎えにいくか、と思ったときに、ぼくの家に日用品がなかったら、連れていかれちゃうかもわかんないでしょ。だからその前に、シャンプーやら石けんやらコーヒーやら毎日使うものを買いだめしておいて、絶対になくならない状態にしているわけ。それなら、“上”の人が迎えにこようとしても『あれ、また買っちゃったよ。元気そうだな。しょうがない、なくなるまで待つか』って。こっちはね、冗談じゃない、なくしてなるものか! って(笑)。自分のなかで楽しい“上”との駆け引き

 できることは自分で。だから料理もきちんとする。

「昔からうちで、お客さんが集まって飲み食いすることが多いんです。ぼくは毎日のように外食してますから、シェフや板前さんの知り合いも多い。それで彼らに、これどういうふうにつくるの? なんて聞くと教えてくれるの。それを紙に書いて保管してる。例えば、今夜はポトフにしよう、と決めると、塩豚からつくります」

 ここ数年、ハマっているのが、鹿児島から取り寄せた安納芋で干し芋をつくること。

「オーブンの天パンに水を入れて、その上に網を載せます。網の上にお芋をのせて、霧吹きで2回くらい、お芋に水をかけて200度で70〜80分。そうすると、中がやわらかくなってね、焦げ目がちょうどつくくらいなの。熱々の状態のときに皮をていねいにむくんですよ。手袋なしで、素手で皮をむくんだけど、毎回火傷しちゃうの。それだけが大変。皮をむいたら3日間くらいお日様に当てると甘みが出て手づくり干し芋の完成。売ってないものだから、友達も楽しみにしててくれてる。料理も毎日つくるわけじゃないけど、今年のように自粛しなくちゃいけないときは、家の中でつくれるものを“ポポポ”と見つけて賄う感じかな」

 補聴器との出あいによって、生まれ変われて、今はまさに〈第二の人生〉を謳歌(おうか)しているところ。

補聴器との出あいがあって、こうして生まれ変わった自分というのがいて。お仕事をするときに、私は難聴ですとお話しすると『そんなのかまいませんよ』と返してもらえるとね、もうね、泣いちゃいけないな、というくらいのうれしさをちょうだいしましたよ。うれしさをちょうだいしたから、頑張らなくちゃいけない。ぼくは自分を日本一ヘタクソな役者、歌手だと思っています。だから仕事でも下手は下手なりに一生懸命、情熱をもってやるんだというのを難聴になったことで教えてもらったかな。

 人生って勉強なんですよね。勉強するからこそ、“なんかうれしい” “なんか楽しい”にたくさん遭遇できるとぼくは信じてる。実際にそのとおりだから、いいじゃないの! 素晴らしいよね」

(取材・文/吉川亜香子)

<PROFILE>
井上順/1947年2月21日、東京・渋谷に生まれる。1963年、16歳で「田邊昭知とザ・スパイダース」に参加。最年少メンバーとして、堺正章とのツインボーカルでグループサウンズの幕開けに貢献する。グループ解散後の1972年にソロデビュー。『涙』『お世話になりました』などのヒット曲を生む一方で、俳優として最高視聴率56.3%を記録したホームドラマの金字塔『ありがとう』(TBS系)など数多くの作品に出演。1976年には歌番組『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)の司会者に抜擢(ばってき)され、芳村真理とともに番組黄金期を築いた。ダジャレの名人としても有名で「ジャーニー!」「ピース!」など数々の流行語を生み出した。長年にわたりオールラウンドプレーヤーとしてテレビ、ラジオ、舞台、コンサート、司会、映画などで活動。2020年1月、渋谷区名誉区民に顕彰される。同年4月、Twitterを開設。「井上順のツイッターが軽妙で魅力的!」と話題になる。
◎Twitterアカウント @JunInoue20