いつになくまじめな表情で熱弁する村本大輔

 2013年には『THE MANZAI』で優勝し、さらに売れっ子になった村本さん。しかし、次第に疑問を抱くようになる。

「ふと考えたときに、よしもと(村本さんが所属する、吉本興業株式会社)は毎回、流れ星みたいなスターを作り出すのがうまいなって。でも、流れ星って石に戻るから、お客さんを集められなくなった石が、楽屋にまだゴロンゴロン転がっていたりするのよね。すると、また違う流れ星が作られる。その瞬間はバーっと光っても、自分の腕で売れているわけじゃなくて、よしもとがスターにしてくれているのよ。結局、自分はただの石。

 それと、漫才で救われたのに、いつの間にかネタがテレビ寄りになって、“売れるための手段”みたいになった。ネタがすごく寂しそうな顔をしている感じがしたんです。そんなときにアメリカのコメディーを見たら、舞台上で教育問題とか社会問題、貧困問題を、そして宗教や人種、政治についても、ばかばかと笑いにしていて。“世の中には、お笑いで気づかせてくれるものがこんなにあるんだ”と。それで(日本のお笑いよりも)、今はあっちのほうがカッコいいなと思って

舞台は唯一の“呼吸する場所”

 最近、テレビではあまり見かけなくなった村本さん。政治的な発言を繰り返すうちに“干された”のか、上述の思いを抱き始めたからこその、ご自身の意思なのか。

「ここでしか言えないんですけど、官邸からの圧力がね。安倍さんが直接、ルミネ新宿にある劇場の楽屋に来て“やめなさい”と。菅さんを引き連れて、当時ね。(笑)

 ……本当の理由は、芸人同士でいじり合う関係が、あるときから幼稚に感じられたんですよ。例えば、とある番組では“私服がおしゃれな芸人”とか“モテる芸人”といった企画をやるじゃない。ああいうのを見て正直、小寒いというか、“いいおっさんたちが、高校生や女子大生ぐらいの層をいつまで狙い続けてるんだ”と。

 そもそも、番組に自分は“駒”として呼ばれているわけで、“こういう話をしてください”、“ここでケーキを食べてコメントください”って指示が入る。それに、テレビに出たら“この企画でどういうふうに笑いをとろうか”って考えるのにも時間がかかるし、打ち合わせもテレビ局やカフェに行ってやったりする。その時間を、面白くない企画には捧げたくなくて」

 企画ありきのテレビ番組を敬遠しつつも、舞台にこだわるのはなぜか。村本さんにとって、漫才とは何なのか。

「舞台の上だけが、自分の言いたいことを言える場所というか。漫才とか独演会とかに置かれたマイクの前でだけは、思っていることを全部、出せるんで。1時間分の言いたいことがあるとしても、普通は1時間も一方的な話を聞いてもらえないわけですよ。でも、笑いがあってめちゃくちゃ面白かったら、1時間でも主張を聞いてもらえる。だから、俺にとって舞台は、本当に唯一の“呼吸する場所”なんです。めちゃくちゃ気持ちいいですよ、言いたいこと言えるっていうのは」

 一般的に、舞台はお金になりにくく、お笑い芸人は売れたら劇場を卒業するパターンが多い。だが、村本さんは違う。彼がネタを通してやりたいことは何か。誰かの声を届けたいのか、社会を変えることなのか。最終目的地はどこにあるのだろうか。

「いろいろあるけれど、いちばんは自分がこの“考えすぎるとしんどくなる社会”を生き抜くための手段。あと、誰かが共感して笑ってくれたら、お互いラクになれるじゃない。俺も言ってラクになるし、笑って向こうもラクになるし。この前『THE MANZAI』で東日本大震災の被災者に関するネタをやったのね。というのも、震災から7年目に宮城県の気仙沼に行って被災者としゃべるなかで、いろんな声を聞いたわけよ。そこで、現地では“こんな救援物資は嫌だ”っていう大喜利をやっています、みたいなことを言っていて。

 例えば、古着の下着がバーっと届くのが嫌だとか、外国で買った薬は怖くて飲めないとか、ただでさえ体育館の中に人が住んでいて場所がないなかで、大量の千羽鶴をどこに置いたらいいんだ、とか。ただ、それは送ってくれる人には伝えられないと。自分たちの口から発してしまうと、被災者全員がワガママだと思われてしまうから。

 これを聞いたとき、個人的にめっちゃ面白かったんですよ。だから、いつかネタにするって約束したんです。それで今回、実際に披露したら、番組のプロデューサーを通して“地元の人みんな喜んでいます”って彼らからの声が届いたんですよ。自分がまず、面白いと思うからやった。その後に彼らが喜んでくれた。ということは、彼らと同じ状況に置かれている人たちもきっと喜ぶ。漫才にすると、そういうふうにして誰かがラクになるわけですよ