アマゾンでの野宿よりもキツかった
改めて58年の人生を振り返って、転機になったと思えることは「大映テレビのドラマに出演したこと」だと即答する。
「もう亡くなられてしまいましたが、春日千春プロデューサーにキャスティングしていただいて、1984年に『少女が大人になる時 その細き道』に出演したのが最初です。二十歳(はたち)のときですね。
最初のころは何をやってもダメで、監督から現場でとにかくけちょんけちょんに怒られたんです。もちろん、いまでは監督の言うとおりだったと思うんですが、当時の僕はスタッフは敵だと思っていましたからね。誰も仲間はいないと思っていて、共演者にも“おはようございます”と“お疲れさまです”のあいさつしかしなかった。一匹オオカミ状態でした」
“おまえなんか役者じゃない、帰れ~!”“声の届くところにいろ~!”“じゃまだ~!”と、監督から怒鳴られ続けて、理不尽だと怒りを感じることもあった松村さんだったが、2か月にわたる撮影が終わりに近づいたころ、その思いが変化する出来事が。
「解釈のわからないセリフがあって、思いきって監督に直接聞いたんです。“そんなこともわからないのか!”と言われるかと思いきや、違ったんです。演出プランやセリフの意味を調べた書き込みがびっしりの台本を見せてくれて、“正しいかわからないけど参考にしていいよ”って、紳士的に話してくれて。監督の情熱をそこで見たんです。怒鳴るだけのおっさんじゃないんだって(笑)。それからは逆にかわいがってくれるようになって、何本もの大映ドラマでご一緒させていただきました。
思い返しても、監督のその厳しさがあって、なにくそこの野郎と思っていた気持ちが、当時の役にぴったりだったんですよ。それを春日プロデューサーが気に入ってくださって、『不良少女とよばれて』『スクール☆ウォーズ』『乳姉妹』『ポニーテールはふり向かない』と、足かけ10年間、大映ドラマに出演させていただきました。ああやって過ごした時間があったから今があると思います」
中でも続編や映画版が作られたほどブームになったのが、1984年10月~1985年4月に放送された『スクール☆ウォーズ』。不良少年や落ちこぼればかりが集まった、高校ラグビー界で無名の弱小チームが、ひとりの教師の赴任により数年で全国優勝を果たすまでの軌跡を描いた感動の青春ドラマだ。
山下真司が熱血教師を熱演し話題に、また麻生未稀が歌った主題歌『ヒーロー』がヒットするなど、大ヒットした。松村さんは、不良生徒だが実は母親思いで優しいラグビー部員・大木大助を演じた。撮影でいちばん苦労したことは「寒さだ」だったと振り返る。
「とにかく寒かった。あの寒さには鍛えられました。朝6時とかに集合して撮影なんですけど、屋外で短パンに着替えてグラウンドに行くと霜柱が立っているんですよ。そこに汗用の霧吹きの水を用意してくれているんですが、氷水になってるんです。その氷水をメイクさんに“汗つけます”って全身に噴きかけられて、信じられないくらいの寒さの中で朝から晩までやってました。ラグビーシーンのときは身体が温まるからいいんですけど、普通の芝居をしていると、もうとにかく寒くて。当時、僕ら若手はなかなか暖(だん)に当たることはできなかったのでつらかったですね。
あの『スクール☆ウォーズ』の寒さに耐えられたんだから、どんなことも“これくらいなんてことない”って、今までやってきました(笑)。アマゾンに行って3週間野宿したこともありますけど、それよりもキツかったです」