エリック・ホッファー(1902〜1983)はアメリカの社会哲学者。港湾労働者として働きながら著作活動や大学で政治学を教えたりしていた。つねに社会の底辺に身を置いて働き、読書と思索を続けた『沖仲仕の哲学者』として知られる。

 彼の著書『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』(中本義彦訳/作品社、2003年)は、タイトルにあるように彼の思想の断片が散りばめられた一冊なので、どのページを開いても、すぐに思索のヒントがある。

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 話が変わるが、先日フムニューで公開された記事『「どうして猫のように生きないんだろう」養老孟司先生が教える“楽に生きるヒント”』を読んで、自分が猫を好きな理由を再認識した。

 養老孟司先生いわく、

猿も犬も社会性の動物で、人間もそう。だから浮世の義理が大変なんですよ。仲間のことを考えなくちゃならないからね。猫は“本当にそれでいいのか?”と教えてくれる動物なんです

 それを受けてライターの千羽さんも書く。

猫はといえば、そんな浮世の義理や評価とは無縁のまま、生きたいように生きている。自分と他猫(?)を見比べてねたむこともなければ、「いいね!」を気にして落ち込むこともない。物欲にも淡泊だ。

 英語で“孤独”を意味する2つの言葉、「loneliness(ロンリネス)」と「solitude(ソリチュード)」には違いがあり、ソリチュードにはロンリネスのような「一人ぼっちで寂しい」のニュアンスがない。“孤独”というより“孤高”と訳すとわかりやすい。拡大解釈をすれば、ソリチュードは、自分がこの世界で“唯一の(solo)”存在であることを思い出すために、一人の時間を必要とする態度だと思う。

 そして猫は「一匹」でいることを選ぶ、まさにソリチュードな生き物。一人で考えている時間が大好きで、猫のように生きたい僕の心に響くコトバが、これだった。

〈われわれは一人でいるとき、何者なのだろうか。一人になると、存在しなくなる人もいる。〉

(DD)