1977年に全日本女子プロレスからデビューし、WWWA世界王座をはじめ、さまざまなタイトルを獲得してきた女子プロレスラーのジャガー横田さん。バラエティ番組やYouTubeでは、夫で医師の木下博勝氏と、2006年に45歳で初出産したひとり息子の大維志(たいし)くんとの仲睦まじい様子を見せてくれている横田さんに、不妊治療や出産時のことなどについて、笑下村塾代表取締役のたかまつななが聞いた。
「0%じゃない」。希望をかけて子宮筋腫を手術
──現在60歳のジャガーさんは、45歳で初産を経験されていますよね。不妊治療はどういう経緯で始められたんですか?
結婚したのは43歳のとき。私、自分は実年齢よりも若いと思っていたから、はじめは“すぐに自然妊娠するだろう”と悠長に考えていたんですよ。でも1年間、自然妊娠しなくて。危機感を覚えて、不妊治療のために病院に行ったんです。
そうしたら、検査で10センチの子宮筋腫が見つかって。さらに、産婦人科の先生には「妊娠の可能性は、ほぼ0%だ」と言われてしまったんですね。しかも「年齢的に、筋腫をとって妊活をしたところで、自然妊娠の確率は3%未満、体外受精でも8%未満。手術で身体に負担をかけるより、諦めたほうがいい」と。
でも、私は0%が3%に上がるのは、大きいことだと思ったんですよね。だから、すぐに筋腫の手術をして、不妊治療を始めました。
──不妊治療はどのように?
いちばん成功率が高いという体外受精をすることにしたんですが、先生が言うには、年齢的にチャンスは3回だと。でも1回目では妊娠しなくって、本当にショックで。「ああ、年をとっているって、こういうことなんだな」と。あと2回あるけれど、刻一刻と年をとっていくなか、どちらも可能性は低いんだろうな……と、希望が持てなくなってしまって。
そのときに、初めて涙が出ました。主人に「ごめんね」と言ったら、主人は「なんで謝るの?」って。「あなたが自分を責めることはないんだよ。ふたりの問題なんだから、一緒にやっていこう」と励ましてくれたんです。
そうしたら、2回目の治療の前に自然妊娠したんですよ。本当にラッキーだったと思います。
妊娠の判明後に5試合。「私にとっては日常だったから」
──当時、プロレスの試合はどうされていたんですか?
不妊治療のときは試合をストップしていたんですよ。でも、自然妊娠がわかってからは、すでにスケジュールに入っていた5試合をやりました。やりきったあと、産休をとりました。
普通だったら絶対に考えられないことだと思うんですけれど、不妊治療で試合をストップして、「こういうことはしちゃいけない、あれもダメ、これもダメ」と、ストレスをためていたんじゃないかなと。
でも妊娠後は、普通に生活をしようと思ったんです。私にとっては、試合をすることも普段の生活の一部。親の死に目にも会えないくらい、絶対に試合に出なきゃいけないという時代を過ごしてきたので。出るはずだった試合を休むことのほうが、身体にも精神的にも負担がかかるんですね。
──結果的に無事に出産されましたが、何かあったら……。
自分のことを責めていましたね、きっと。でも、15年前の私には、やらずに後悔をするという選択肢はなかったんですよね。
──旦那さんは何と?
主人は5試合すべて、仕事を休んで地方も含めてついてきてくれました。主人に「なんで、あのとき止めなかったの?」と聞いたら「止めても言うこと聞かないでしょ」と言われましたけど。息子の大維志が強い子でよかったなと、本当に思います。