〈われわれは一人でいるとき、何者なのだろうか。一人になると、存在しなくなる人もいる。〉で紹介したエリック・ホッファー『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』(中本義彦訳/作品社、2003年)より。

〈激しい情熱の持ち主は、たいてい思いやりに欠ける人である。他人を思いやる気持ちは、精神の均衡が生み出す静寂の中でだけ聞こえる「低い小さな声」である。人間に対する情熱でさえ、人間性を欠いている場合が多い。〉

 エンタテインメントの世界では、暑苦しいくらいの主人公の情熱が、周囲の無関心や無気力を打破して困難な状況を変えていく物語が感動を呼ぶのだが、それは主人公に都合よく物語が展開するから可能であって、現実の世界では、思い込みが激しい情熱は空回りすることが少なくない。

 そういう情熱の正体は「自分の思い通りにしたい」という欲望であって、ホッファーが指摘するように「人間性を欠いている」からだろう。

 僕の友人は、内に秘めた情熱を自らのエネルギーにはするが、部下にそれを求めない。部下が求めているものに気づき誘導することで、その人の中にある情熱に火を付けている。

 そういえばエンタテインメントでも、『鬼滅の刃』の炭治郎は、自分と同じ気持ちを仲間に要求したりしない。逆に自分が他人に(ときには鬼にさえ)何をしてやれるかを一生懸命に考えている。(DD)