作家のサンドラ・へフェリンさんにインタビューした記事『「多様性とは、他国の慣習をすべて認めることではない」ドイツと日本にルーツを持つ作家が思い描く“真の共生”』の導入で、亀山早苗さんが書いている。

 よく話題になる「校則」。「教育」という名のもとに下着の色にまで学校が干渉するのは、おかしくないだろうか。地毛が茶色の生徒に対して、黒く染めろというのもおかしい。もちろん、違和感があるのは校則だけではない。サービス業においては、ヘアカラーが「ダークブラウンまで」と決められているところもあるし、ネイルは基本、薄いピンクまで。とにかく、日本は規則が大好きだ。組織のルールを守るのが美徳だとされるが、それは時に、個人の選択肢を狭めることにつながっている。

 かつてニューヨークに行ったとき、デパートの女性店員が、長い爪に塗った真っ赤なネイルが折れないよう、ボールペンを使ってレジを売っているのを目撃した。自由だ、と胸が高鳴った。業務に支障をきたさない限り、どんな格好をしようがかまわないはずだと確信を得た。

 僕も規則だ、組織のルールだ、世の中の常識だ、という言い方をする人が大嫌いな天の邪鬼なので、こういう文章を読むと胸が高鳴る。

 亀山さんは、『ほんとうの多様性についての話をしよう』(旬報社刊)という本を書いたサンドラさんから、「多様性」という言葉が持つ価値を引き出す。

「専業主婦になりたい」という女子大学生はヨーロッパには見られないという。

「専業主婦も多様な生き方のひとつだろう」と反論されることもある、とサンドラさんは言う。

「でも、ヨーロッパでいう多様性を認めるという意味は、LGBTQへの理解を深めたり、これまで女性が就いてこなかった職業に就きやすくなったりというように、社会が今までより積極的に前に進めることを指すんです。これが、“古風な生き方も認めろ”という日本と大きく違うところだなと感じています」

 今までの殻を破ることが、多様性に近づくカギなのかもしれない。

 僕も、鈍感で保守的なおじさんにならないように気をつけなくては。前に進もうとする若い人たちの邪魔をしないように。(dd)