よく話題になる「校則」。「教育」という名のもとに下着の色にまで学校が干渉するのは、おかしくないだろうか。地毛が茶色の生徒に対して、黒く染めろというのもおかしい。もちろん、違和感があるのは校則だけではない。サービス業においては、ヘアカラーが「ダークブラウンまで」と決められているところもあるし、ネイルは基本、薄いピンクまで。とにかく、日本は規則が大好きだ。組織のルールを守るのが美徳だとされるが、それは時に、個人の選択肢を狭めることにつながっている。
かつてニューヨークに行ったとき、デパートの女性店員が、長い爪に塗った真っ赤なネイルが折れないよう、ボールペンを使ってレジを売っているのを目撃した。自由だ、と胸が高鳴った。業務に支障をきたさない限り、どんな格好をしようがかまわないはずだと確信を得た。
自分のアイデンティティが周囲に理解されないこともしばしば
作家のサンドラ・へフェリンさんは、ロンドンに生まれ、1歳からドイツに住んでいた。日本で「生まれたのはロンドン」というと、「英国出身」にされてしまうと苦笑する。
「ドイツを始めヨーロッパ的な考え方では、生まれた場所は単純に生まれただけの場所。どこの文化圏で育ったかで“出身地”が決まる。だから私はドイツ出身です。日本には、もう20年以上住んでいます。そして父がドイツ人、母が日本人なので、私の祖国はドイツと日本。ドイツ人でもあり、日本人でもある。ここが、なかなかわかってもらえないところなんですけどね」
日本にいると「あなたはドイツの方なんですね」と言われ、「ドイツ人でもあります」と返すそうだ。この「も」が大事だとサンドラさんは言う。もちろん、ドイツにいるころにも困ったことはあった。
「中学生のころ、ドイツ人の同級生が、“日本の観光客は写真ばかり撮ってバカみたいだよね”と言ってきたことがあるんです。その子は私の母が日本人だと知らないから。なんとなくアジアへの偏見があることもわかっていたので、私も、“母が日本人なの”と言いづらい。かといって、同意もできない。それは私が日本人で“も”あるから、そこにアイデンティティがあるからです。このことに関しては、長らく葛藤がありましたね」
どの段階でカミングアウトすべきなのかについても、悩みは尽きなかった。うっかり「母が日本人だ」というと、ステレオタイプな会話に陥る可能性もある。
「当時は『たまごっち』が流行(はや)っていたので、母が日本人だというと、たまごっちか捕鯨の話しかされない時期もありました(笑)。相手が持っている、“日本人はこうである”というイメージだけで会話が進んでしまうんですね」
多様性とは、お互いの「そこそこ居心地のいいありよう」を探ること
そんな人生を送ってきたサンドラさんだからこそ、「多様性」という言葉には敏感だった。SDGsやらダイバーシティやら、言葉ばかりが先行しているし、なんとなく、“それらはいいことだ”という認識がある。だが、本当の意味での多様性とはいったいどういうことなのか、私たちは具体的に理解していないかもしれない。
「いろんな国の人がいて、みんなでその国の料理を食べればいいというわけじゃない。ただ仲よくするだけでも違う。真の多様性とは、お互いの文化の違い、考え方の違いをまず知ること、そして譲り合ったり歩み寄ったり、ときには問題を指摘し合ったりぶつかったりしながら、お互いに“そこそこ居心地のいいありよう”を探っていくことなのではないか、と思っています。
日本の学校で、髪の長さを決めたりパーマがダメだったり、生まれつきの茶髪を黒に染め変えさせるなどという話を聞くたびに、いろんな国の人たちをその学校にぶち込んでみたい欲求にかられます(笑)。“こんなに多種多様な子がいるのに、無理やり一緒くたに扱おうとするんですかー!”って」