また、本作はしっとりとしたバラードというのも大きな挑戦だったが、聖子が前年までのパワフルな歌声から、いわゆるキャンディ・ボイスに変わっていったのもこのころだろう。これも、若松氏の指導だったのだろうか。また、聖子のモノマネでも特徴的な、「る」を「どぅ」と可愛らしく発音するようになったのも、この少しあとくらいから。(例:『野ばらのエチュード』、♪くちびるを寄せる少女 → ♪くちび「どぅ」を寄せる少女 など)これも、キャンディ・ボイスをより可愛く魅せるためのすごい発明と言えるだろう。

このころの聖子は朝から晩までスケジュールがビッシリで、過労で倒れてしまうこともしょっちゅうでした。毎日いろんな仕事で歌っていたために、声が出にくくなってきたんですね。そこで、負担のない歌い方を一緒に考えていきました。

 “どぅ”と発音するのは、いいか悪いかは別として、スケジュールをこなすため、たまたまそう歌ったのがハマっていったんじゃないかなと思います。でも、それこそが彼女の持ち味なんでしょうね」

「青い珊瑚礁」の“あのサビ”は作曲家・小田裕一郎さんの直感から生まれた

 そして、第2位には2ndシングルの「青い珊瑚礁」(作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎、編曲:大村雅朗)。“赤”と“青”でツートップとなったが、こちらも前出の『平成生まれ1000人に聞いた! 今聴くべき80年代女性アイドルソングBEST15』においてアイドル全体の中で7位、聖子の中でも2番手となっている。当時のセールスもオリコン最高2位ながら、累計約60万枚で5番手の大ヒットとなっている。「青い珊瑚礁」といえば、やはりサビ頭のインパクト。若松氏もオーディションのカセットテープで釘づけになったという聖子の強い歌声が、一気に入ってくる。

「これは、もともと(作曲を担当した)小田さんが作曲した『アメリカン・フィーリング』(サーカス、'79年)を聴いて、“こんなにすばらしい曲を作る人がいるんだ”と思い、彼の所属事務所を自分で探してお願いしに行きました『青い珊瑚礁』というのもプロデューサーの私がつけたのですが、そのタイトルを小田さんに伝えたら、あのサビの部分をギターを弾きながら歌い始めたんです。

 ♪あー、私の恋は~♪って、あのフレーズは彼の直感で出てきたんですよ

 確かに、このサビのフレーズや、編曲の大村雅朗による胸が高まるようなイントロ、何より聖子の希望に満ちた歌声は、すべて“青い珊瑚礁”という若松氏のコンセプチュアルなタイトルありきで生まれたものだと合点がいく。'80年代に入った開放感も相まって、本作は当時も大ヒットとなったが、聖子の楽曲にはほかにも国内、海外問わず旅をイメージするものが多い気がする。

「それは私が旅好きで、それと季節感も好きだから。そこに地名も当てはめると、リスナーの方々に歌が入りやすいんですよね。感情移入しやすいというか、日常ともオーバーラップしやすいのだと思います。なお、アルバム各曲のタイトル付けは各作詞家さんに自由にお願いしましたが、アルバム全体のタイトルやキャッチコピーに至るまで、私が決めていました」

 聖子のアルバムを並べてみるとわかるが、一作ごとに異なる色合いがそのアルバムの特徴を象徴的にとらえつつ、帯のキャッチコピーに必ず”聖子“という単語が入るのも特徴的。これも、連続してアルバムを購入したくなる一因だったであろう。