TOP20にシングル以外が5曲も!「ヒット曲にもっとも必要なのは“意外性”」

若松さんイチオシのアルバムレコード『SQUALL』と

 そしてTOP20全体を見渡すと、驚くことに、3位「SWEET MEMORIES」、5位「瑠璃色の地球」、14位「制服」、15位「抱いて…」、19位「蒼いフォトグラフ」と、シングルA面以外の楽曲が5作もランクインしている。これが、シンガーソングライターのように、もともとアルバム・プロモーションを本丸ととらえてシングルはアルバムと同時発売にしたり、アルバムからリカットしたり、というリリースの仕方であれば、こうした現象も起こりうる。だが聖子の場合は'80年代だけでも、30万枚を超えるヒットシングルが21作もあるのだ。これを押しのけるほど人気のカップリング曲やアルバム曲が5曲もあるという事実から、聖子や若松プロデューサーがただならぬ存在だったと、改めて気づかされる。

 シングルA面曲以外で最上位となったのが、通算14作目となった'83年のシングル「ガラスの林檎」のB面で、のちに両A面扱いとなった「SWEET MEMORIES」(作詞:松本隆、作曲・編曲:大村雅朗)。2コーラス目が英語から始まるジャジーなナンバーで、かなり意外性のある作品だ。当時、とあるバーでペンギンが歌うというアニメーションが施された、サントリー「CANビール」のCM曲に起用されていたが、これが有線放送で火がつき、「ガラスの林檎」の順位が各種チャートで下がったころに両A面シングルとしてあらためて発売。

 その結果、レコード売り上げが再浮上し、ついには発売1週目と発売13週目にオリコン1位を獲得したことで、'80年代の聖子では最大となる累計85万枚以上を売り上げることとなった。その後「SWEET MEMORIES」は、'99年の『NHK紅白歌合戦』で歌唱されたり、別のCMに起用されたりしたこともあり、今や40組以上のアーティストにカバーされるほどのスタンダード曲に成長した

 本作を作曲した大村雅朗は、TOP20内にも7作を担当し、21位以下でも24位「マイアミ午前5時」、25位「セイシェルの夕陽」、30位「Kimono Beat」など、数多くのアルバムの名曲を手がけており、聖子のメイン・アレンジャーとも言えるだろう。

「大村さんが編曲した山口百恵さんの『謝肉祭』を聴いたときに、“なんてオシャレで斬新なアレンジをする人がいるんだ”と思って、『青い珊瑚礁』を作るときにはじめて編曲をお願いしました。萩田光雄さんや船山基紀さんは、すでに実績が多かったのに対し、大村さんは当時、まだそこまで名前が知られてなかったのも、私の好きなポイントですね。

 聖子はいつも大村さんを“まーくん”と呼んで親しくしていました。大村さんは、“聖子ちゃん、大丈夫?”とか“きっと歌えるから”と、いつも優しく声をかけてくれて。クリエイティブな部分では強く意見するときがあっても、ふだん関わるなかでは、とてもいい方でしたよ。私と聖子の仲裁役というわけではないけれど(笑)、空気がよどんだときには、状況をみて間に入ってくれていたと思います

 ちなみに、シングルA面の「ガラスの林檎」(作詞:松本隆、作曲:細野晴臣、編曲:細野晴臣、大村雅朗)は今回のサブスクランキングでは23位だが、こちらは崇高な雰囲気のスロー・バラード。つまり、「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」は2曲とも、かなり挑戦的な作品だったと言えるだろう。

ヒット曲にもっとも必要なのは、“意外性”なんです。だから、“それまでの聖子なら歌わないんじゃないか”という思いから、途中で大滝詠一さんや細野晴臣さんにも曲を依頼するようになりました。聖子と2人を組み合わせることで、これまでにない色合いを出して、ほかの歌手とは異なる路線も打ち出しました。『ガラスの林檎』は神聖なイメージで、私も大好きですね。細野さんのメロディーと聖子の声は、意外なようですが、ものすごく合っていると思います

 それにしても、このただならぬスケール感は、レコード大賞も狙えそうなほどだが、そういった戦略はあったのだろうか。

「何かで大賞を狙おうとかは一切、考えたことがありません。1年目は何をやってもフレッシュだけど、2年目、3年目にはいろいろなことに慣れてきちゃう。そうならないように、王道路線を行くのではなく、いつも意外なものを届けたい、というのが私のやり方なんです」

 若松氏が、旅行気分や季節感などを想起させるタイトルをつけたり、意外な作家を起用したりと、常にリスナー目線でワクワクするような制作を心がけていたことで、記録にも記憶にも残るヒットの数々につながったということが、この上位数作についての考察だけでもよくわかる。

 次回は、4位以下のヒット曲やシングルのB面曲についても迫っていく。

Spotifyでの松田聖子さんのアーティストページ。お気に入りの1曲をぜひ発掘してみてほしい(数字は2022年8月末現在の累計再生回数) ※画像をクリックするとこの写真と同じページにジャンプします

(取材・文/人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)

※PART2は一週間後の9/23(金)に公開予定です!


【PROFILE】
若松宗雄(わかまつ・むねお) ◎音楽プロデューサー。1940年生まれ。CBS・ソニーに在籍し、1本のカセットテープから松田聖子を発掘した。'80年代後期までのシングルとアルバムをすべてプロデュース。ソニー・ミュージックアーティスツ社長、会長をへてエスプロレコーズ代表。現在も三味線弾き語りの演歌歌手・三田杏華や高校生演歌歌手の石原まさしを精力的にプロデュースしている。『松田聖子の誕生』(新潮新著)が初の著書。

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