オリコン1位がずっと続くも、若松氏は「プレッシャーはなかった」

 シングルのカップリングやアルバム収録曲が上位に食い込むぶん、21位以下も、歴代のヒット・シングルがずらずらと並ぶ。ちなみに、これらのシングルの人気がないわけではなく、どれもSpotifyでは50万回以上、再生されている。ほかのアイドルの場合には屈指の再生回数にもかかわらず、聖子の中で順位をつけると、どうしても下位になってしまうという点をご了承願いたい。

 それにしても当時、前人未到だったオリコン24作連続1位という記録に対し、プレッシャーはなかったのだろうか。

「私はそういったプレッシャーもなかったですね。1位をとるために発売時期をずらすということも考えていなかったです。ただ、宣伝チームからは、レコードジャケットを豪華にしたほうがセールスが伸びるとすすめられて渋々、何かの作品で要望に応えたことはありましたが、結果としてはセールスにほとんど関係ありませんでした」

「聖子が本当に多くの方々から愛されるようになってくれてうれしいです」と満面の笑み

 ちなみに、シングル24作のうち、初登場1位となったのは13作。残り11作は、発売の曜日が集計的に不利だったり、強力作に阻まれたりして2位以下で登場した後に、1位を獲得している。特に、'81年の5thシングル「夏の扉」にいたっては、5週連続で寺尾聰の「ルビーの指環」に次ぐ2位となった後で2週連続1位となっており、これもひとえに楽曲のチカラと言えるだろう。

 なお、聖子のアルバムは、“マスターサウンド”と呼ばれる高音質LPや高音質カセットで出していたのだが、こちらについても売り上げのかさ上げを狙ったものではないという。

「ソニーの技術チームからの要望でしたね。ヒットしている作品のほうが、その技術が広まりやすいし、なおかつレベルの高い楽曲なら最新技術も伝わりやすい、ということで、聖子が起用され続けたんだと思います」

 昨今は、推しのアイドルに会える特典を付けたり、収録内容を微妙に変えたりすることで購入枚数を手っ取り早く伸ばす、というスタイルが当たり前となっているが、聖子や若松プロデューサー、さらに松本隆や松任谷夫妻、大滝詠一、大村雅朗といった制作陣はひたすらいい楽曲をリスナーに届け、ヒットさせることに心を砕いていた。彼らが一丸となった結果、今でもこうしてサブスクでもヒットし続けている。この事実を教訓として、現代のアイドルたちにも、記録だけではなく、記憶に残るヒット曲を作っていってほしいと願うばかりだ。

 次回は、さらに“名曲の嵐”状態である、アルバム収録曲についても掘り下げてみたい。

Spotifyでの松田聖子さんのアーティストページ。お気に入りの1曲をぜひ発掘してみてほしい(数字は2022年8月末現在の累計再生回数) ※画像をクリックするとこの写真と同じページにジャンプします

(取材・文/人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)

※PART3は一週間後の9/30(金)に公開予定です!


【PROFILE】
若松宗雄(わかまつ・むねお) ◎音楽プロデューサー。1940年生まれ。CBS・ソニーに在籍し、1本のカセットテープから松田聖子を発掘した。'80年代後期までのシングルとアルバムをすべてプロデュース。ソニー・ミュージックアーティスツ社長、会長をへてエスプロレコーズ代表。現在も三味線弾き語りの演歌歌手・三田杏華や高校生演歌歌手の石原まさしを精力的にプロデュースしている。『松田聖子の誕生』(新潮新著)が初の著書。

『松田聖子の誕生』(新潮社刊/若松宗雄著) ※記事中の写真をクリックするとアマゾンの商品紹介ページにジャンプします