アイドル全盛期の1980年代。なかでも特に豊作といわれているのが“花の82年組”。そのひとり、早見優さんがデビュー40周年記念アルバム『Affection ~YU HAYAMI 40thAnniversary Collection~』を10月12日にリリースする。
インタビュー第1弾では、アイドル時代の転機になったエピソードや2人の子育てについて振り返ってもらった(記事→デビュー40周年の早見優「娘が“ママの歌はリアルタイムだと思われてるよ”って」80年代アイドル再ブームを分析)
今回は “花の82年組” 同期の中森明菜さんへの思いや、アルバム収録曲にまつわるエピソードなどを伺った。
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コロナ禍の苦しみを周りに助けられて
このたび、所属事務所から独立をした早見さん。同期の中森明菜さんも新しい個人事務所で再出発するとツイッターで発表したが、早見さんには何かきっかけとなる出来事があったのか。あるいは40周年を意識して以前から計画していたことなのだろうか。
「実は体調を崩されていた社長(市瀬達弥さん)に、“優もキャリアが長いから、やりたいことを一緒にやっていくチームをつくるといいよ” と以前から言われていたんです。その後コロナ禍で動けなくなってしまい昨年、社長も亡くなってしまって」
長引くコロナ禍で、スケジュールも入らず独立どころではなくなってしまったという。
「私たちの仕事って、お客さんやファンの方が応援してくださるから、がんばろうって思えるんですよね。でもスケジュールは真っ白なままだからどんどん気分が沈んできて、別に私はいなくてもいいのかな……って思い始めちゃったんです。同業者の方で同じように思われている方もたくさんいらして。とても苦しくてつらい時期でした。
そんなとき、長いお付き合いのプロデューサーが“来年40周年だからベストアルバムを作ろうよ”と声をかけてくださったんです」
──アルバム制作と同時進行で事務所からの独立も準備していった?
「本当に気分が落ち込んでいたんですが、アルバムづくりが始まったら、やっぱり私はこの仕事が大好きだと思えて元気が出てきたんですね。それでデビューの頃からずっとお世話になっている方に、ひとりでやっていこうと思っていることを伝えたら、“ひとりじゃ無理、手伝うよ”って言ってくださったんです。それから準備を始めて円満に独立することができました」
──同期の中森明菜さんの独立のニュースは、どんなふうに受け止めているのでしょう。
「同期の仲間とも“明菜ちゃん、どうしているだろうね”ってたびたび話題に上るんですね。私は明菜ちゃんの歌も大好きでステージでもいっぱいカバーさせてもらっています。先日のニュースを聞いて、40周年を機に歌ってくれるのかなって嬉しく思っています。何よりも会いたいですね」
──歌番組で中森さんと共演したときのエピソードや、印象に残っている会話を聞かせてください。
「同窓会をやろうという雑誌の企画で、シブがき隊とか石川秀美ちゃん、堀ちえみちゃん、松本伊代ちゃん、小泉今日子ちゃん、その中に明菜ちゃんもいて、みんなでハウススタジオに集まったんです。ところが、いつの間にか明菜ちゃんだけがいない。スタジオの入り口に行ったら、彼女がしゃがんで何かやっているんですね。“何してるの?” って言ったら、”みんなの靴……”って言いながら靴をそろえているんですよ(笑)。どこか人と違う着眼点があって、最初からちょっと不思議な感じでした。そこがかわいいんですけどね。
番組で一緒になると、ボソボソとつぶやきながら私の肩に触るので、何? って言ったら、“髪の毛がついてて…”って小さな声で(笑)。私がサバサバしてるから、明菜ちゃんからいつも “優はいいね。いつも元気そうで”って言われていました。
私が明菜ちゃんに冗談で“色っぽいね”って言うと、“いやん”って(笑)。いつもそんな風に何の気なしに話していましたね」