小劇場での活動が転機に。今後の目標は「特にないんですよ」

満面の笑みから渋い流し目まで、さまざまな表情を見せてくれた 撮影/齋藤周造

 そのためにはどうすればいいかと考えた結果、オーディションを受けてみることに。当時は独立系映画の全盛期。高橋さんも「あのころの日本映画は、すごく活気づいていた」と振り返る。

「オーディションに行くと、審査員側に憧れの映画監督さんとがいらっしゃるわけですよ。だから、それだけで興奮していました(笑)。でも、もともと作品を見るのが好きなだけで、芝居の勉強なんて1ミリもしたことがない。いざ審査となると、一気にみんなの視線が集中するもんだから、ただ恥ずかしいだけで何もできなかったですね。“これは無理だ!”と早々に思いました。

 オーディションを受けるだけじゃなく、大勢のエキストラを募集している作品に応募して、実際に撮影現場へ行ったりも。そんなことを何度もやっていると、芝居が好きな人たちと、自然と知り合いになっていくんです。“この世界に入るには見ているだけじゃダメだ”とか、“何か小さい劇場からでも作品を発表していかなきゃ”とか言われるうちに、気が合う人たちと集まるようになって

 芝居の世界へ、本格的に第一歩を踏み出したのはこのときだった。高橋さんは「子どものころに出た学芸会の延長みたいな感じでやっていた」とおちゃめに語るが、いろいろな劇場へ足を運ぶうちに出会ったのが、『劇団離風霊船(りぶれせん)』。

「すごく強烈な芝居をする劇団でした。“はぁ〜すごいなぁ〜!”と、当時は衝撃を覚えたものです。僕は別の劇団で活動していたんだけど、あっという間に26歳くらいになって、仲間がひとり、またひとりと辞めていくんですよね。田舎に帰るヤツもいて、僕もそろそろ辞めどきかなと思うようになった。そんなとき、『劇団離風霊船』から“作品に出てみない?”と声をかけていただいたんです」

「去っていく仲間の背中を見るのは寂しかったですね」と高橋さん 撮影/齋藤周造

 せっかくの誘いを断る理由もなく、「これをやったら辞めようか」と思いながら引き受けた。しかしこの作品が、演劇界で権威ある『岸田國士戯曲賞』を受賞する。

「そのころの僕は、『岸田國士戯曲賞』と言われてもよくわからなかった。演劇のことはほとんど何も知らなかったんです(笑)。そして、このタイミングくらいから、小劇場ブームが盛り上がっていき、プロデュース公演が花盛りに。僕も何度かお誘いを受けて舞台に立っているうちに、今の事務所に所属するきっかけとなった田山涼成さんと出会ったんです。

 こう思い返してみると、やっぱり“出会いってすごいな”と思いますね。声をかけてもらったからやってみるとか、誘われたからそっちに行くとか、流れに身を任せていたら、ここまで来ました(笑)。例えば僕に、“絶対に映画をやりたい”とか、“こういう俳優になりたい”とか、確固たる信念があったら、また別の人生になっていたかもしれません。大きな野望を持って東京に出てきていたら、逆に、早いうちにポシャっていたんじゃないかって思うんです。

 今でもよく聞かれますが、これからの目標は、特にないんですよ。上京してきた話からそうですが、自分が子どものときに見ていた俳優さんに会いたいっていう一心が、僕の原動力ですから(笑)。会いたい人と会えた! 仕事した! しゃべった! そんなひとつひとつの達成感が、これまで俳優として活動してこられた理由だと思います。目標がないって言うと、“向上心がなさすぎる”と怒られることもあるけれど、結局、僕は“ミーハー”なだけでここまでやってきたんですよね

(取材・文/高橋もも子)

ミーハー最高! インタビュー第2弾では、2児の父となった心境も赤裸々に語っていただきました 撮影/齋藤周造

【PROFILE】
高橋克実(たかはし・かつみ) ◎1961年生まれ、新潟県三条市出身。高校卒業を機に上京し、憧れの東京生活へ。小劇場で活動しながら、30代半ばまでアルバイト生活をしていたが、'98年からスタートしたドラマ『ショムニ』シリーズ(フジテレビ系)でブレイクして以来、コンスタントに作品に出演し続けている。俳優以外にも『トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜』『直撃LIVEグッディ!』(ともにフジテレビ系)の司会を務めるなど、マルチな才能を発揮。'22年10月14日に全国公開される映画『向田理髪店』で、映画初主演を務める。

映画『向田理髪店』公式HP→https://mukouda.com/