ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」を意味する、メメント・モリ(memento mori)。その起源は古代ギリシャ時代にまで遡るそうですが、その後、古代ローマ時代における将軍の凱旋パレードで
「将軍は、今は絶頂にあるが、明日は何が起きるかわからない」
という事実を思い起こすために、“メメント・モリ”という言葉が使われたそうです。
やがてキリスト教においても「生に執着するべからず」の意味合いとしてメメント・モリの概念が広まり、いつしか西洋芸術のモチーフや死生観の象徴としても使用されるようになりました。
そのほかにも、Mr.Childrenの楽曲『花 -Memento-Mori-』や、クリストファー・ノーラン監督の『Memento』など、“死”をテーマにする作品にたびたび登場するこの概念。オンラインゲーム『原神』(mihoyo)で私が愛してやまないキャラクター・胡桃(フータオ)もゲーム内でこう語っています。
「覚えておいて。いつどんな時も、死を軽く扱っちゃダメ。死を理解し尊重してこそ、生きる価値を理解できるのよ。生きているうちにしっかり生きて、やるべきことをやってから、会いたい人に会う。それもいいことだと思わない?」
さすが私の推しです。死を軽く扱わず、だからといって怖がりすぎず尊重してこそ、よりよい“生”を実感できる……。まあ、胡桃がいるおかげで日々の幸せを実感できているのは私なんですけども(笑)へへッw
死生観についての言葉を紹介しようとしたら、推しの話になってしまいました。そういえば先日のコトバスケット「推しは推せるうちに推せ、会えるうちに会いに行け」はある意味、メメント・モリに通ずる概念なのかもしれません(西)