「3570グラムの立派な赤ちゃんで、おかげさまで母子ともに健康です。ちなみに髪の毛も生えています」
俳優・高橋克実さん(61)が、このなんともユニークな喜びの報告を所属事務所の公式サイトに掲載したのは、2012年9月26日のことだった。今から10年前、51歳ではじめて父親になった高橋さん。現在は2児の父親となり、子育てにも奮闘中だ。
数々のドラマや映画、舞台に出演する名バイプレイヤーの高橋さんが、’22年10月14日公開の映画『向田理髪店』で初主演をはたした。50代で父に、60代で初主演映画が公開に。50歳を過ぎてから、仕事でもプライベートでも大きな転機を迎えた高橋さんが、父親になって初めて感じた気持ちや、子育ての難しさを語る。
【高橋さんが家業を継ぐことを避け東京の地に降り立ち、一度は諦めかけるも俳優への道を切り開くまでのエピソードは、インタビュー第1弾で語っていただいています。記事→高橋克実さん、“ミーハー心”と出会いに支えられた日々を振り返りつつ、今後の目標は「特にないんですよ(笑)」】
子どもが生まれ「親父が見たことないくらい喜んでいた。やっと親孝行ができた」
「1人目の男の子のときは仕事で出産に立ち会えず、生まれてから病院に行きました。急いで駆けつけたら、うちの子だけほかの新生児とは並んでいなくて。“どうしたんだろう”と気が気じゃないし、すごく不安で、どうしようもなかったですね。自分のこと以外で、こんなに心配で苦しくなるのは初めてのことでした」
ガラス越しに初対面をはたした息子にいだいた気持ちと、父親になった日のことを、そう振り返る。
「やっぱり、父親って最初は実感がまったく湧かないんですよ。病院で、“生まれましたよお父さん!”なんて言われても、“僕がお父さん!? えええ〜!?”といった感じでしたね(笑)。
でも、実際に生まれてきたわが子をこの目で見たら、“ああ、本当に父親になったのか”と、だんだん実感が湧いてきた。次の瞬間に思ったのが、“おふくろに見せたかったな”でした」
実家の金物屋を継ぐのが嫌で、高校卒業を機に新潟から上京し、ほぼ勘当状態になったりと、両親には心配ばかりかけていた。しかし、子どもが生まれたときに初めて、すでにこの世を去っていた母親への申し訳なさを感じたと明かす。
「親父は生きていたので、早く見せたいと思いました。孫に会わせたときの親父の顔は、それはそれはうれしそうで、あんな顔見たことないってくらい喜んでいましたね。初孫を抱いた親父がね……って、違うわ。僕の妹に子どもがいたから初孫じゃないや、ハハハ(笑)。
こういう仕事をしていると、NHKの朝ドラに出たり、大河ドラマに出たりしたら親孝行だ、とよく言われますが、それとはまた違った角度で、大きな親孝行ができた実感がありましたね。……ああ、こうやって話していると当時を思い出すものですね。親にはさんざん迷惑をかけたけど、この歳になってやっと親孝行ができてよかった。それまで親父のことを気にかけたことなんて、ほとんどなかったのに、子どもが生まれるとそういうことを考えるものなんだなと。母親には会わせられなかったけど、親父には間に合って本当によかったです」
感慨深そうに話しながら目を細め、若かりしころの両親とのやりとりを語り出す。
「僕が芝居をやり始めたころは、“なにが劇だ!”なんて言われたりしてね。当時は、ミュージシャンになるとか俳優になるとか、言語道断だって言われるような時代だったんです。それでも僕は18歳で東京に出て行った。
でも、生活が苦しくなると、やっぱり頼るのは親なんです。当時はコレクトコールっていう、電話を受けた側に通話料がかかるサービスがあったんですよ。それに10円を入れて両親に電話して、“お金を送ってください”と。電話に出てもらえると、その10円は戻ってくる仕組みなんですが、そのうち電話にも出てくれなくなって(笑)。どうせ金くれって言われるだけだって、バレてたんでしょうね。
親になった今、考えてみると、あのときどういう気持ちで僕のことを見ていたんだろうって思うわけです。今回の映画『向田理髪店』も、さびれた元炭鉱町が舞台なんですが、僕と妻役の富田靖子さんが、東京から突然戻ってきた息子の行く末を、本人がいないところで話し合う場面があるんですよ。もしかしたらうちの両親も、僕が東京に出るなんて言い出してからは、“やらせてみたらいいんじゃない”、“やっぱりダメだ”とか、夜な夜な言い合ってたのかな、本当はいろいろ見透かされてたのかな、とか考えながら演じていましたね」
妻との“報告会”を大事に。もし子どもに「俳優を目指したい」と言われたら──
現在は一男一女の父親になり、子育ての難しさを感じる毎日。子どもと接する中で心がけていることを聞くと、
「押しつけないようにすることと、全部はやってあげないことですね。やってあげないというのは案外、難しいもんです。例えば、子どもが小さいころって、食べたあとの食器の片づけにしても、親がやったほうが早いじゃないですか。だけど、こぼしても、落としてもいいから自分でやってもらう。もちろん、“こっちのお皿を上にしたほうがいいんじゃない?”とか、アドバイスはしますよ。でも、なかなかうまくいかないですね。人に何かを伝える難しさを、改めて感じました。
実際にこぼしちゃったりすると、“おい〜!”って言っちゃうこともしばしば。仕事が忙しいからって、自分に余裕がなくなっちゃうとダメだなぁと。そんな日は、子どもが寝たあとに、寝顔を見ながら“失敗したなぁ”と思うんです」
俳優という仕事は、地方ロケなどで長期間、家を空けることも多い。
「それに比べて妻は、子どもが学校に行っている時間以外はずっと一緒でしょ。それってすごく大変ですよ。毎日のように同じことを子どもに注意しても同じことを繰り返されて、そりゃあ疲れますよ。僕なんかは、仕事で家から出ることも多いから、ある意味、逃げ場があるようなものです。だけど、妻はそうじゃない。だから子どもが寝たあとに、“今日はこんなことがあった”とか、“あそこで怒りすぎた”とか、話し合うとまではいかないけど、1日のことを報告しあう時間は大切にしています」
もし、自分の子どもが俳優の世界を目指したいと言い始めたら? そう問いかけると、いやいや……と手を横に振る。
「“やめたほうがいいよ”とは言うかな。なかなかしんどいですもん、この職業は。まぁ、やめたほうがいいとは伝えますけど、“どうしてもやりたいんだ!”って言うなら、どうぞどうぞって(笑)。僕もそうでしたからね、もう何をやってもいいと思います。ただ、本当に大変だと思うからオススメはしないかな(笑)」
そんな世界に憧れ、実際に活躍を続けている高橋さんの、今後の展望とは──。
「展望なんて、そんなたいそうなものはありません(笑)。今回の初主演もとてもありがたかったですが、“こういうドラマがあります、映画があります、どうですか?”って呼んでいただけるのなら、“僕でよければ”という気持ちですね。そのうちセリフも覚えられなくなったら、自分から、“すいませ〜ん、医者から1行以上あるセリフは止められてるんです〜”なんて言って辞退しますよ(笑)。
ただ、この仕事をしていて若い人に現場で会うと、たくさん刺激をもらえるんです。続けていくと、自分が思っていた以上に新しい出会いがある。そこから付き合いが始まって、広がっていく。それが面白いですね。だから年齢がどうとかっていうのは意識せずに、呼ばれたらどこへでも行くことにしています。僕はきっと、これからもずっと、このまんまだと思います」
(取材・文/高橋もも子)
【PROFILE】
高橋克実(たかはし・かつみ) ◎1961年生まれ、新潟県三条市出身。高校卒業を機に上京し、憧れの東京生活へ。小劇場で活動しながら、30代半ばまでアルバイト生活をしていたが、’98年からスタートしたドラマ『ショムニ』シリーズ(フジテレビ系)でブレイクして以来、コンスタントに作品に出演し続けている。俳優以外にも『トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜』『直撃LIVEグッディ!』(ともにフジテレビ系)の司会を務めるなど、マルチな才能を発揮。’22年10月14日に全国公開される映画『向田理髪店』で、映画初主演を務める。