「映画やドラマが昔から大好きだったんです。いわゆる“オタク”ですね。家業を継ぎたくない、その一心で新潟から上京してきました。金物屋を営んでいた両親からは、“東京に行って何すんの!?”と、ほとんど勘当状態に。そんな中でも、実際に東京に出てきた昭和54年(1979年)。あのときの興奮は、今でも忘れられないです」
今年4月に61歳を迎えた俳優・高橋克実さんは、テレビドラマ『ショムニ』シリーズ(フジテレビ系)で演じた人事部長役で一躍、人気を博し、ドラマや映画、舞台など、さまざまな話題作に出演する名バイプレイヤーの一人。
高橋さんといえば、バラエティ番組『トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜』(フジテレビ系)で見せた八嶋智人さんとのシュールな司会姿を連想する人も少なくないはず。俳優としてだけでなく、MCやキャスターとしてもマルチな才能を発揮する高橋さんが、’22年10月14日に公開される『向田理髪店』で、映画初主演を飾ることに。
“好き”という気持ちから飛び込んだ世界で、今もなお出演作の絶えない人気俳優となった高橋さん。その半生をたどりながら、上京してから今までのご自身の気持ちを、ありのままに語ってもらった。
地元から飛び出て念願の東京へ、『ぴあ』を片手に“オタ活”する日々
初主演となる映画『向田理髪店』で演じた向田康彦は、さびれた元炭鉱町「筑沢町」にある理髪店の店主。客は近所に住む顔見知りばかりで、仕事が終われば、同級生とスナックに集まり町のグチを言い合う日々──。そんなある日、東京で働いていた息子の和昌が突然、会社をやめて帰郷し、「店を継ぐ」と言い出すところから物語は始まる。
「東京に出ていった息子が帰ってくる。脚本をいただいたとき、最初に感情移入したのは息子のほうでした。“ああ、ちょっと自分と似てるなぁ”と思って。僕も親父にあんな生意気なことを言ったな、こういうことで揉めたな、とか思い出しましたね。僕の実家も新潟で金物屋をやっていたので、小さいころは店番の手伝いをしたものです。でも金物屋って、毎日忙しくお客さんが来るようなお店ではないんです。ただ近所の人がお茶を飲んで、しゃべって、満足したら帰る。みんな何も買わないで帰るなんて、普通のことでしたね(笑)。
そうこうしているうちに、高校に上がると、なんとなく僕が店を継ぐ雰囲気になっているのを感じたんです。でも、それだけは絶対に嫌だった。“地元は面白くないな、なんとか逃げよう……そうだ、東京に出たら何か変わるんじゃないか!?”って。いま思うと、本当に愚かな考えだったと思います(笑)」
そんな高橋さんが、高校3年生のときに突如、両親に放った言葉は「いろんなことを考えたんだけど、(僕は)東京の大学に行ったほうがいいんじゃないかな」。突拍子もない提案は、もちろん最初から受け入れられることはなかったが、「1年だけ」という約束で東京の予備校へ通う許可がおりる。
「普通は、大学受験をするためにもっと前から準備するんですけどね。あくまで僕は東京に出たい、ただその一心でしたから。当時、寮も完備された予備校があって、その寮に住みながら予備校に通うということは自分の中で決めていたんです」
高校の卒業式を終えた数日後、すぐに東京での生活をスタート。
「親元を離れた自分だけの暮らし。自分だけって言ったって寮ですけど、あのときの胸の高鳴りは忘れられません。ついに憧れの東京に出てきて、自分のなかでいちばん衝撃な年でしたから。“よしよし、うまくいったぞ!”なんて思っていました(笑)。
もともと映画やドラマ好きだったので、毎日のように情報誌の『ぴあ』を片手に映画を観に行ったり、ロケ地巡りをしたり。吉祥寺にある井の頭公園に行って、『俺たちの旅』(’75年・中村雅俊主演ドラマ)の、このシーンはここで撮影したんだ! とか、もうとにかく楽しくてね」
夢の東京生活を満喫しているあいだに、時はあっという間に過ぎていった。1年だけという約束だったはずが、気づけば2浪してしまう。
「何浪しようが関係ないですよね、だって当時の僕は、ずっと東京にいることが目標だったんですから(笑)。でも、さすがに“ちゃんとした仕事をしろ”と、両親からも言われるように。そこで浮かんだのが、“映画の世界に関わりたい”という思いでした。どうしても出たいというわけでもなかったから、スタッフでもエキストラでも、なんでもよかったんです。自分が子どものころに見ていた、成田三樹夫さんや佐藤慶さん、石橋蓮司さんや蟹江敬三さん……作品の脇を固める渋い俳優のみなさんに、どこかで会えないかなっていうミーハー心が湧き出たんです」
小劇場での活動が転機に。今後の目標は「特にないんですよ」
そのためにはどうすればいいかと考えた結果、オーディションを受けてみることに。当時は独立系映画の全盛期。高橋さんも「あのころの日本映画は、すごく活気づいていた」と振り返る。
「オーディションに行くと、審査員側に憧れの映画監督さんとがいらっしゃるわけですよ。だから、それだけで興奮していました(笑)。でも、もともと作品を見るのが好きなだけで、芝居の勉強なんて1ミリもしたことがない。いざ審査となると、一気にみんなの視線が集中するもんだから、ただ恥ずかしいだけで何もできなかったですね。“これは無理だ!”と早々に思いました。
オーディションを受けるだけじゃなく、大勢のエキストラを募集している作品に応募して、実際に撮影現場へ行ったりも。そんなことを何度もやっていると、芝居が好きな人たちと、自然と知り合いになっていくんです。“この世界に入るには見ているだけじゃダメだ”とか、“何か小さい劇場からでも作品を発表していかなきゃ”とか言われるうちに、気が合う人たちと集まるようになって」
芝居の世界へ、本格的に第一歩を踏み出したのはこのときだった。高橋さんは「子どものころに出た学芸会の延長みたいな感じでやっていた」とおちゃめに語るが、いろいろな劇場へ足を運ぶうちに出会ったのが、『劇団離風霊船(りぶれせん)』。
「すごく強烈な芝居をする劇団でした。“はぁ〜すごいなぁ〜!”と、当時は衝撃を覚えたものです。僕は別の劇団で活動していたんだけど、あっという間に26歳くらいになって、仲間がひとり、またひとりと辞めていくんですよね。田舎に帰るヤツもいて、僕もそろそろ辞めどきかなと思うようになった。そんなとき、『劇団離風霊船』から“作品に出てみない?”と声をかけていただいたんです」
せっかくの誘いを断る理由もなく、「これをやったら辞めようか」と思いながら引き受けた。しかしこの作品が、演劇界で権威ある『岸田國士戯曲賞』を受賞する。
「そのころの僕は、『岸田國士戯曲賞』と言われてもよくわからなかった。演劇のことはほとんど何も知らなかったんです(笑)。そして、このタイミングくらいから、小劇場ブームが盛り上がっていき、プロデュース公演が花盛りに。僕も何度かお誘いを受けて舞台に立っているうちに、今の事務所に所属するきっかけとなった田山涼成さんと出会ったんです。
こう思い返してみると、やっぱり“出会いってすごいな”と思いますね。声をかけてもらったからやってみるとか、誘われたからそっちに行くとか、流れに身を任せていたら、ここまで来ました(笑)。例えば僕に、“絶対に映画をやりたい”とか、“こういう俳優になりたい”とか、確固たる信念があったら、また別の人生になっていたかもしれません。大きな野望を持って東京に出てきていたら、逆に、早いうちにポシャっていたんじゃないかって思うんです。
今でもよく聞かれますが、これからの目標は、特にないんですよ。上京してきた話からそうですが、自分が子どものときに見ていた俳優さんに会いたいっていう一心が、僕の原動力ですから(笑)。会いたい人と会えた! 仕事した! しゃべった! そんなひとつひとつの達成感が、これまで俳優として活動してこられた理由だと思います。目標がないって言うと、“向上心がなさすぎる”と怒られることもあるけれど、結局、僕は“ミーハー”なだけでここまでやってきたんですよね」
(取材・文/高橋もも子)
【PROFILE】
高橋克実(たかはし・かつみ) ◎1961年生まれ、新潟県三条市出身。高校卒業を機に上京し、憧れの東京生活へ。小劇場で活動しながら、30代半ばまでアルバイト生活をしていたが、’98年からスタートしたドラマ『ショムニ』シリーズ(フジテレビ系)でブレイクして以来、コンスタントに作品に出演し続けている。俳優以外にも『トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜』『直撃LIVEグッディ!』(ともにフジテレビ系)の司会を務めるなど、マルチな才能を発揮。’22年10月14日に全国公開される映画『向田理髪店』で、映画初主演を務める。