今、若い世代からも、また海外からも熱い注目を浴びている昭和ポップス。昨今では、音楽を聴く手段としてサブスクリプションサービス(以下「サブスク」)がメインで使われているが、必ずしも当時ヒットした楽曲だけが大量に再生されているわけではなく、配信を通して新たなヒットが生まれていることも少なくない。
そこで、本企画では’80年代をメインに活動した歌手・アイドルの、『Spotify』(2022年7月時点で4億3300人超の月間アクティブユーザーを抱える、世界最大手の音楽ストリーミングサービス)における楽曲ごとの再生回数をランキング化。当時のCD売り上げランキングと比べながら過去のヒット曲、現在のヒット曲を見つめ、さらに、今後伸びそうな“未来のヒット曲”へとつながるような考察を、昭和ポップス関係者への取材を交えながら進めていく。
連載1人目の浅香唯に続き、2人目は、’80年代を代表するアイドル・松田聖子をフィーチャー! ’80年代の松田聖子について、1本のカセットテープから彼女の歌声を発掘したプロデューサー・若松宗雄氏とともに、過去と現在のヒット曲を全3回にわけて振り返る。
PART1では、サブスク人気TOP3の楽曲「赤いスイートピー」「青い珊瑚礁」「SWEET MEMORIES」を中心に考察した。(記事→松田聖子、Spotifyの大人気曲と当時の売り上げ順位はリンクせず? 名プロデューサー・若松宗雄氏と考察してみた)PART2である今回は、4位以降を見ていきたい。
「瞳はダイアモンド」と「チェリーブラッサム」は当初のタイトルから“微調整”
まず第4位は、’83年のシングル「瞳はダイアモンド」(作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:松任谷正隆)。聖子はデビュー以来、若松プロデューサーの意向で季節感を前面に押し出したシングルを発表してきたが、冬を描いたシングルは、意外にもこの作品が初となった。それまでは“夏”を2作、その前後に“春”と“秋”のシングルをリリースするというのがパターンだったが(※)、この’83年は、秘密の花園→天国のキッス→ガラスの林檎→瞳はダイアモンドと、春夏秋冬を1作ずつ歌っている。しかも、失恋の真っただ中を歌っている曲も、聖子のシングルとしては初となった。これも、若松氏が大切にする“意外性”が大きかったことから、彼女を代表する楽曲となり、聖子ワールドをさらに大人の方向に大きく進めることになった。
(※ ’80年:裸足の季節→青い珊瑚礁→風は秋色、’81年:チェリーブラッサム→夏の扉→白いパラソル→風立ちぬ、’82年:赤いスイートピー→渚のバルコニー→小麦色のマーメイド→野ばらのエチュード)
「これまで季節感を出してきたなかで、別に冬を避けていたわけではありません(笑)。この楽曲『瞳はダイアモンド』は、松本隆さんからの発案でした。ただ、当初は『瞳はダイヤモンド』というタイトルがつけられていたのを、プロデューサーとして、より英語に近い“ダイアモンド”に変えました。同じく、シングル曲『チェリーブラッサム』も、新鮮なイメージにしたくて、当時、一般的に言われていた“ブロッサム”ではなく“ブラッサム”としたんです」(若松氏・以下同)
そして、6位から9位を見ると、「渚のバルコニー」「チェリーブラッサム」「夏の扉」「風立ちぬ」と、’81年から’82年にかけてのヒットシングルが並ぶ。このあたりは、サブスクだけでなくレコードの売り上げランキングでもTOP10入りしており、若い世代でも“聖子ちゃん”と言えば、これらの曲がイメージされるのだろうか。
初期のレコード売り上げでは、「風立ちぬ」(約52万枚)よりも「風は秋色」(約80万枚)と後者のほうが圧倒的に売れているのだが、サブスクでの人気は「風立ちぬ」が9位、「風は秋色」は22位と、大きく開いている。「風立ちぬ」は作詞:松本隆、作曲:大滝詠一、編曲:多羅尾伴内(大滝詠一の変名)であり、大滝詠一が世界的に注目されていることも、現在の人気を後押ししているだろうが……。
「いや、『風は秋色』は、確かに、前作シングル『青い珊瑚礁』の勢いで売れちゃったかな、という印象があったので、サブスクの順位のほうが自分の感覚に近いですね」
とのこと。なお、若松氏の著書『松田聖子の誕生』(新潮新書)では、大瀧詠一が、“聖子の声の響きに合わせて、その場でどんどんメロディーを変えていく”というスタイルに聖子も若松氏も大変な苦労をしつつ、それでいて、かけがえのない作品を作れたことへの感謝がつづられている。
「裸足の季節」は“素”の象徴、「制服」が今も愛される人気曲になったワケは
そして、10位にはデビュー曲「裸足の季節」(作詞:三浦徳子、作曲:小田裕一郎、編曲:信田かずお)がランクイン。こちらは、本格ブレイク前ということもあり、シングルセールスは22番手だが、現在はそれよりも、はるかにヒットしている。こちらも聖子の歌声が元気いっぱいで、(父親からの反対や事務所決定の難航など)デビューまでの長い道のりを思うと、気持ちが高揚しているようにも聞こえるほどだ。
「これは本当にいい曲ができたと思っています。聖子に合わせて意図的に作ったのではなく、作曲の小田さんが歌いながらふっと出てきたメロディーを歌にしています。でも、小田さんのメロディーは洋楽っぽくもあるので、歌ってみると音域が広くて難しいですよね。それと、アイドルの歌は1コーラス目と2コーラス目で間奏がきっちりあることが多かったのが、この歌はすぐさま2コーラス目にいくのも、新鮮でいいと思います。タイトルは、自分が小さいころ、ずっと裸足で過ごしていたことから、着飾らない“素”の状態の象徴として、『裸足の季節』と名づけました」
ちなみに、作詞を手がけた三浦徳子からは当初、「ハイヌーンは熱く」というタイトルが出されていたようで、発売前に「裸足の季節」に変更されたとのこと。タイトルひとつで、楽曲に青春を感じるか、情熱的な恋愛を感じるか異なるが、「こうも変わるのか」と改めてタイトルの重要性、ひいては若松氏の手腕のすごさを実感させられる。
次に、シングルのカップリング曲を見ていくと、上位から3位「SWEET MEMORIES」(「ガラスの林檎」B面,のちに両A面)、14位「制服」(「赤いスイートピー」B面)、19位「蒼いフォトグラフ」(「瞳はダイアモンド」の両A面)、26位「レモネードの夏」(「渚のバルコニー」B面)、そして32位「Eighteen」(「風は秋色」の両A面)と、TOP40に5作もランクイン。ユーミン作品が3作入っているのも興味深い。
特に、14位の「制服」(作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂、編曲:松任谷正隆)は今でも卒業シーズンになると、柏原芳恵「春なのに」や斉藤由貴「卒業」などのヒット・シングルと並んで、ラジオやテレビで流れるスタンダード曲となっている。卒業時の切ないエピソードと、軽快なメロディーの組み合わせが絶妙だが、これもA面候補だったのだろうか。
「いえ、『制服』は、シングルA面の『赤いスイートピー』と争ったわけではなく、まず『赤いスイートピー』をA面として固めた後に、B面曲として書いてもらいました。聖子の場合、A面は(こちらから指示したこともあり)制作に力が入ったけれど、B面は各々のクリエイターに、自由につくってもらっていました。その自由さが結果としていい歌になっちゃうんですから、みなさん本当にすばらしい才能の持ち主なんだと思います。私のところで、ボツにしたものは、ほとんどなかったはずです」
ちなみに、’84年にはシングルB面曲を集めたベスト盤『Touch Me,Seiko』が発売されているが、当時、B面コレクションがチャートの1位になるというのも史上初のことだった(累計売上約34万枚)。
オリコン1位がずっと続くも、若松氏は「プレッシャーはなかった」
シングルのカップリングやアルバム収録曲が上位に食い込むぶん、21位以下も、歴代のヒット・シングルがずらずらと並ぶ。ちなみに、これらのシングルの人気がないわけではなく、どれもSpotifyでは50万回以上、再生されている。ほかのアイドルの場合には屈指の再生回数にもかかわらず、聖子の中で順位をつけると、どうしても下位になってしまうという点をご了承願いたい。
それにしても当時、前人未到だったオリコン24作連続1位という記録に対し、プレッシャーはなかったのだろうか。
「私はそういったプレッシャーもなかったですね。1位をとるために発売時期をずらすということも考えていなかったです。ただ、宣伝チームからは、レコードジャケットを豪華にしたほうがセールスが伸びるとすすめられて渋々、何かの作品で要望に応えたことはありましたが、結果としてはセールスにほとんど関係ありませんでした」
ちなみに、シングル24作のうち、初登場1位となったのは13作。残り11作は、発売の曜日が集計的に不利だったり、強力作に阻まれたりして2位以下で登場した後に、1位を獲得している。特に、’81年の5thシングル「夏の扉」にいたっては、5週連続で寺尾聰の「ルビーの指環」に次ぐ2位となった後で2週連続1位となっており、これもひとえに楽曲のチカラと言えるだろう。
なお、聖子のアルバムは、“マスターサウンド”と呼ばれる高音質LPや高音質カセットで出していたのだが、こちらについても売り上げのかさ上げを狙ったものではないという。
「ソニーの技術チームからの要望でしたね。ヒットしている作品のほうが、その技術が広まりやすいし、なおかつレベルの高い楽曲なら最新技術も伝わりやすい、ということで、聖子が起用され続けたんだと思います」
昨今は、推しのアイドルに会える特典を付けたり、収録内容を微妙に変えたりすることで購入枚数を手っ取り早く伸ばす、というスタイルが当たり前となっているが、聖子や若松プロデューサー、さらに松本隆や松任谷夫妻、大滝詠一、大村雅朗といった制作陣はひたすらいい楽曲をリスナーに届け、ヒットさせることに心を砕いていた。彼らが一丸となった結果、今でもこうしてサブスクでもヒットし続けている。この事実を教訓として、現代のアイドルたちにも、記録だけではなく、記憶に残るヒット曲を作っていってほしいと願うばかりだ。
次回は、さらに“名曲の嵐”状態である、アルバム収録曲についても掘り下げてみたい。
(取材・文/人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)
※PART3は一週間後の9/30(金)に公開予定です!
【PROFILE】
若松宗雄(わかまつ・むねお) ◎音楽プロデューサー。1940年生まれ。CBS・ソニーに在籍し、1本のカセットテープから松田聖子を発掘した。’80年代後期までのシングルとアルバムをすべてプロデュース。ソニー・ミュージックアーティスツ社長、会長をへてエスプロレコーズ代表。現在も三味線弾き語りの演歌歌手・三田杏華や高校生演歌歌手の石原まさしを精力的にプロデュースしている。『松田聖子の誕生』(新潮新著)が初の著書。