東京に上京したつもりが熊谷に。食費を削ってレコードを買いあさる日々

──高校卒業後、大学進学で上京されるんですよね。

「そうですね。大学生になるってことは東京に遊びに行くってことだから。俺にとっては、4年の自由な時間ができたみたいなことだったんですよ。当時はバンドって東京まで行かないと見られないものがほとんどでしたから。もうねぇ、当時の北海道なんて何もなかったから。文化がないから! 文明は届くけど、文化って地方まで届かないじゃないですか。だから東京に行くのが楽しみでした

──念願の東京生活はどうでしたか?

俺が進学したのは立正大学という大学なんですけど、東京の大学を受験したつもりが、1、2年生の校舎が埼玉県の熊谷だったんですよ。パンフレットを見直したらすごいちっちゃい字で、<※1〜2年は熊谷校舎>って書いてあるという、さりげない隠ぺい工作があって(笑)。はりきって上京したのに、東京とは名ばかりっていうか。熊谷から新宿に出るまで、当時で片道の運賃が1060円かかったんですよ。当時はどうやったら安く東京に行けるかばかり考えていましたよね」

──上京してからは、ライブは見に行っていたんですか?

「見たいライブとかも見られるようになって、お金はないけど楽しかったですね。400円の牛丼を1杯食うんだったら、中古レコードが1枚買えるかもしれないから、食費を削って。大学生の頃は、レコードを買う時には飯を食わないっていうルールにしていました」

──大学卒業後は、就職されるんですよね。

俺が大学に入った1988年はまだ雑誌が売れていた時代だったので、編集者が花形職業だったんですよ。媒体を使って文化を発信できるっていうのに憧れていたんです。“俺は編集者になるんだ”って勝手に思い込んで、出版社を何社か受けて、出版社だと言われている会社に入ってみたんです。そこの出版部門では『i-D JAPAN』(注:1991年に株式会社UPUから発行されたカルチャー雑誌)を作っていたんですが、本来は就職の採用パンフレットを作る仕事がメインだったんですよ。試用期間が終わって、そのパンフレットを作ることが決定して、“そんなの俺、向いていないから”って思っちゃったんです

──せっかく入社した企業ですよね……。

「例えば証券会社の採用パンフレットを作るには証券取引の知識もいるし、当然それの勉強もしないといけない。でも俺、真面目なこと考えると脳がシャットダウンしてしまうし、事務仕事をやると眠くなってダメなんですよ。会議も起きていられないし、本当にまともなことが一つもできない。寝ないように会議中ずっと舌をかんでいたら血が出て、シャツが血まみれとか。そのぐらい仕事できないんですよ。まともなことは何一つできない

掟ポルシェさん 撮影/山田智絵

──バイト暮らしをしていた時は、どんなことを考えていましたか?

いつも“こんな仕事くらいできるんじゃないの”って思っているのに、どんな会社も光の速さでクビになる。クビにならなくても自分で仕事をブッチぎって辞めたりっていうのを繰り返して。ただ職場の人間関係がよければ、頭脳労働は無理でも実務労働だったらできたんですよね。窓拭きのバイトは7年続きました

──ところで、仕事は長髪のままされていたんですよね?

「そうです。自分のことだけど“こんなやつ採用して大丈夫なのかな、この会社”って本気で思いましたよ

──掟さんのトレードマークともいえる長髪ですが、どうして今まで長髪だったんですか?

ラクだから。だって寝癖ついたりしないですよ、超ラク。20歳の時に、チリッチリになる強いパーマをかけたんですよ。それまでスットントンの直毛だったのが、それ以来、1回だけストレートパーマをかけたけど、チリチリが直らなくて

──その長髪はパーマが取れない状態なのですね(笑)。

「今は、濡れた状態でドライヤーをかけずムースを大量につけたらこの状態。34年パーマが残り続けていますね」