異色作「へんなの!!」への“本音”が炸裂、本来はシングル予定ではなかった!?

 そして、作曲は'80年代前半にブレイクしたバンドであるジューシィ・フルーツのギタリストだった柴矢俊彦。'02年に全国漁業協同組合連合会のキャンペーンソングとして子どもたちに大ブームとなった「おさかな天国」(歌唱は妻の柴矢裕美) の作曲者としても注目されているが、こちらも南野作品では「涙はどこへいったの」「へんなの!!」「カリブへ行きたい」など、楽しげな曲が多い。

「柴矢さんは、私の“明るめ”楽曲の担当ですね。当時は、“ジューシィ・フルーツの方なんだ~”って思って喜んでいました。実際に会って、お話しするようになったのは最近になってからなんです」

 そういえば、「へんなの!!」は、コミカルな歌詞と歌唱のバンドサウンドで、南野作品の中で突出した異色作と言えるだろう。当時は、シングル「ダブルゲーム」「へんなの!!」「耳をすませてごらん」と3か月連続でのシングル発売が続いた。「へんなの!!」は前週に発売されたアルバム『Gather』からのリカット、しかもオリコン集計では不利な日曜日発売ということもあって、'86年「悲しみモニュメント」以降のオリコン連続TOP10入りを15作でストップさせてしまった、“いわくつき”の作品でもある。南野自身は当時、どういった心境だったのだろうか。

正直言って“それ見たことか”って感想でしたね(笑)。というのは、このとき、シングルの3か月連続リリースというのが本当にイヤだったんです。私の考え方として、ファンの方には頻繁にお小遣いを出してほしくなかったですし、リリース間隔が短いと、大事に作った曲なのに、テレビなどでも1回しか歌えないということがあったからです。それで、“こんなことをするくらいなら、歌をやめる!”と言ったら、“やめたいなら、月イチで出せばそれが近道じゃないか”みたいな屁理屈(?)を言われちゃって」

 さらに、「へんなの!!」はさまざまな理由でシングルのつもりがなかったことも、本人のやる気を削いだようだ。

「スタッフさんがそろっていなかったときにテスト的にふざけて歌っていたものが、シングル音源として採用されたんですよ。もちろん、このころはバンドブームが到来していて、“こういった編成の楽曲がアルバムの中に欲しい”と言って作ってもらったことはとてもよかったのですが、まさかシングルになるとは……。そういった思いや、『へんなの!!』というタイトルの付け方への違和感などがあり、この時期は非常にモヤモヤしていました。でも今となっては、楽しんで作れた曲だし、コンサートの盛り上げ役としても好きな曲です。ただ、このことをきっかけに、3か月連続リリース後のシングルとなった『KISSしてロンリネス』から、音楽制作会社がビーイングに移るんですね

 なんと、「吐息でネット」よりも、異色作「へんなの!!」についてのエピソードで白熱してしまったが、それだけ彼女が真剣に音楽と向き合ってきたことがよくわかる。

「当時から自分の意志はちゃんと持っているほうでした」と南野。流されない生き方、カッコいい! 撮影/矢島泰輔

「はいからさんが通る」効果で袴ブーム到来、柳沢慎吾&阿部寛との思い出も語る

 続くSpotify第2位は、「吐息でネット」のシングル前作だった「はいからさんが通る」。こちらは、本人主演の同名映画主題歌。テレビ番組では、《凛々しく恋してゆきたいんです私〜♪》と元気はつらつに歌うメジャー調の本作を映画同様、袴姿で披露する南野も印象的だった。そして、南野の人気から、袴を着て卒業式を迎える女子学生が増えたこともあり、とても有意義な楽曲と言えよう。

「袴を着けるという文化は大正時代からあるものですが、それまでの卒業式は、成人式で買ってもらった振袖をもう1回着るという人が多かったんです。それが、袴姿のほうがちょっとカジュアルな感じがするということで、女学生の雰囲気も出るし、お値段も少し抑えられる。ゆえに人気に火がついたようで、着物メーカーさんから表彰されました。でも、それと同時に、振袖が売れなくなったというクレームも来たそうです(苦笑)」

 本作は、今や大御所と言える阿部寛の俳優デビュー作としても知られている。

「そうでしたね~。この映画で共演していた柳沢慎吾さんと私が仲良しだったので、ふたりで“阿部ちゃん、阿部ちゃん”と呼んでいました。彼が『集英社第3回ボーイフレンド大賞』で優勝した際、副賞としてもらったのが可愛い小型車の『ファミリア』だったんですが、すごく身体の大きな人が乗っていることや、車の中で聴いていたカセットテープが、演歌とか渋めの選曲だったことがユニークで。それを私たちが大音量にして“こんなの聴いてる~!”とからかったり、ロケ弁が配られたときには“身体の大きな人は3個食べなきゃダメよ!”と言ったり……楽しい思い出ですね

「いつも和気あいあいとした現場でしたね〜」と当時を懐かしむ 撮影/矢島泰輔