渡辺いっけいの出世作『ひらり』は1992年10月から半年間にわたって放送されたNHK連続テレビ小説(脚本・内館牧子)。石田ひかり演じる相撲が大好きな女の子・ひらりとその家族、相撲部屋の力士たち、東京の下町の人々などの人間模様を描いて大人気ドラマとなった。
演じたのは両国診療所に赴任してきた青年医師・安藤竜太。ぶっきらぼうな中にも心根の優しさと男らしさがにじみ出て、ひらりの5歳上の姉・みのり(鍵本景子)からも思いを寄せられる。姉と妹がからんだ三角関係の行方は二転三転して──。
折りしも昨年末から、実に30年ぶりの再放送がスタート。大相撲の中継や(!)国会の会期中に休止になる場合もあるが、月曜から金曜まで1日2話ずつオンエアされている(NHK総合16:30〜)。『ひらり』撮影当時のエピソードから、還暦を迎えた今日までとことん語ってもらったロングインタビューの後編です。(※インタビュー前編:渡辺いっけい「三谷幸喜さんと結婚式で……」。出会いに感謝! ご縁に導かれた俳優人生を語る)
「朝の顔」じゃないのに……
「『ひらり』はNHKの方から所属事務所に石田ひかりさんの相手役ということでお声がけいただきオーディションに参加することになったのですが、正直あまり出る気がなかったんです。というのも当時の僕はバリバリの舞台役者として活動していて、27歳からはバイトをせずに食べていました。自分は芝居で身を立ててやるんだって思っていましたから」
「次の舞台の仕事も決まっていました。だから受かりたくなくて面接でもふてぶてしい態度をとって “僕、大きな役はちょっとできないんで” って言ってたし、“そもそも朝の連続テレビ小説の顔じゃありませんから” とも言ったんですよ。
そしたら笑われたんですけど、笑ったあと真ん中にいた人が “でも今回、その朝の顔じゃないいっけいさんを出したいって思ってるんですよ” って切り返されて、僕も “ちょっと面白い人たちだなぁ” と思ったのはよく覚えています」
──『ひらり』の直前まで放送されていた朝ドラが橋田壽賀子先生の『おんなは度胸』。もう1つ前が『君の名は』で、もとは戦後に大ヒットしたラジオドラマ。その2本からガラリと雰囲気が変わって、ものすごく新しいドラマが始まった気がしました!
「主題歌はドリカム(DREAMS COME TRUE)ですよね。それまでテーマ曲はインストゥルメンタルだったのが、『ひらり』から歌入りの主題歌が一般的になったんです」
「現場はスタッフがまず若かったですね。プロデューサー含めて、新しいものをやりたいっていう気概に満ちていた。だから当時、不倫ドラマをバリバリやってた内館牧子さん(※)をあえて起用するとか」
(※)脚本家としての出世作はTBS系『想い出にかわるまで』(1990年)。姉妹と1人の男性(今井美樹、石田純一、松下由樹)が三角関係になるモチーフは『ひらり』にも生かされている。大の相撲通としても知られ、のちに女性として初めて横綱審議委員会の委員を務めた。
──女性の本音が生々しく描かれて、いま見ていても実に楽しいです(笑)。しかも、いっけいさんが演じる竜太先生が色っぽいんですよね。
「それは内館さんの書く男の人は魅力的ですから。どんなに憎まれ口をたたいても本当の意味の嫌なことを言わない。気持ちのカッコいい人ですよね。内館さんが書く男、イコール内館さんが惚れる男像みたいな」
── 親方(伊東四朗)もカッコいいでしょ。親方に惚れてる相撲部屋の女将さん(池内淳子)もカッコいい。
「そうなんですよ。みんなそれぞれ、島田正吾先生も花沢徳衛さん・石倉三郎さんの親子も(※)、素敵なセリフがちりばめられていて魅力的でした」
(※)ひらりの実家は「やぶさわ」という質屋で、父方の祖父・藪沢小三郎(島田正吾)が店主。両親は銀行の支店長(伊武雅刀)と専業主婦(伊東ゆかり)。母方の深川家は江戸っ子気質の職人で、金太郎(花沢徳衛)と銀次(石倉三郎)の親子が鳶(とび)をしている。
──朝ドラの場合、放送の5か月くらい前から先行して撮りはじめると思いますが、「これはいいものになるぞ!」っていう予感はありましたか?
「とにかく台本が面白かったんですよ。現場でもらえるんですけど、手にとるのが毎週毎週すごく楽しみで。出演者もスタッフもみんなワクワクして “次どうなるの?” っていう」
ひらりよりも姉・みのりがタイプ!?
渡辺いっけい演じる安藤竜太は、大学病院から下町の診療所に赴任。教授の指示とはいえ、医療現場の第一線を離れることに不安を抱いていて、露骨に嫌そうな態度で下町にやってくる。第11話からの登場だった。
「最初のシーンとか、僕、すんごい力が入ってるんですよ。両国の街のロケから始まったんですけど、自分なりに演技プランを考えて入ったらディレクターに諭されました」
それが、ひらりと初めて出会う場面。1台しかない公衆電話(まだケータイのない時代です)の順番をめぐるトラブルで、お互いの第一印象は最低最悪。
一方、みのりと竜太も偶然、同じ日に出会う。みのりは折れたヒールのかわりに自分がはいていたサンダルを貸してくれた竜太にひと目惚れするが、ひらりが竜太のことをボロクソにけなすのを聞いてしまった手前、竜太への思いをズーッと打ち明けられなくなってしまう。
社交的で要領のいい妹、引っ込み思案でチャンスを逃し続ける姉の対比も面白かった。
──その後、ひらりも「竜太先生が好きになっちゃった」と(笑)。対照的な姉妹ふたりからモテモテになりますが、正直いっけいさん自身はどちらがタイプなんでしょうか。
「女性の好みとしてですか!? そうですね、みのりちゃんのほうがやっぱり一緒にいて……。なんていうかなぁ、“みのりちゃんみたいなタイプが好きだな” って渡辺いっけいは思ってる」
「でも、たぶん実際に一緒に暮らしてみると、ひらりのほうがいいんですよ。あのぐらいポンと返ってくるほうが楽ですね、渡辺いっけいはそうですね。で、安藤竜太はというと……」
──いま再放送でも最初のヤマ場がきていますので、3人の恋の行方をドキドキしながら見させていただきますね(笑)。しかも当時は “みのり現象” なんて言葉が生まれたくらい、姉・みのりも注目されました。
「みのり役の鍵本景子ちゃんは、器用なタイプではなかった。そういう意味で、僕はああいうタイプがすごく好きでした。役者さんとしても女性としても、“鍵ちゃん” には魅かれましたね。役を演じている瞬間っていうのは、ちょっと擬似恋愛っぽい気持ちになる。鍵ちゃんはそうでした。
一方(石田)ひかりちゃんはやっぱり芸能人、スターですよ。そういう気にはならなかったですけど、仕事の相性は抜群によかったですね」
──たしかに2人の芝居を見ていると、本当に面白いです!
「あれこそ相性ですね。あの子、ぜんぜん緊張しなくてね。どじょうを食べるシーンが何回かあったんです。食べながら、お猪口(ちょこ)で日本酒とか。でも、お猪口って軽いから力の具合が難しくて、適当に力抜いてリラックスしてないとお猪口を持つ手が震えてくるんですよ。
僕が震えてると、ひかりちゃんが不思議そうに “え、なんで震えるんですか!?” って。“緊張してんだよー” って言って、この子は緊張しないのかと思ってビックリしました」
──ひかりさんは緊張しない?
「そう言ってましたね、“緊張するってわかんない” って。その感覚がすごい子でした」
石田ゆり子の「天然」と「ラブシーン」
──その後、お姉さんの石田ゆり子さんとも『不機嫌な果実』(1997年/原作・林真理子、脚本・中園ミホ)で夫婦役を演じています。
「石田ゆり子さんは女優さんとしてというより、人間として非常に魅力的で、いい意味で隙(すき)のある方だったんで、撮影中は毎日のようにツッコんでいました。
ご本人はすごく否定するんですけど、天然の匂いのする方なんですね(笑)。例えば彼女がディレクターさんに質問するのを聞いていると、“台本、ちゃんと読んでるのかな”って。僕、シンプルに1回聞いたことがあるんです、“あなた、本当に台本読んでるの?”って(笑)。
“失っつ礼なこと言いますね!” って怒られたんですけど、そういうことをツッコみたくなるような。いい意味で普通の方と感覚が違うんです」
── 濃厚なラブシーンもありましたけれど。
「そうですね。でも、夫への不満で不倫に走るっていう話なので、僕との夫婦の営みのシーンはそんなになかった。第1話だけ丁寧に撮ってもらいましたね。
あれはTBSの生野慈朗さん(※)っていう名ディレクターの演出なんです。男と女のドラマを撮らせたらピカイチという方が、非常にていねいに根気よく撮ってくれて。友人たちからはけっこう反響がありました(笑)」
※代表作に『3年B組金八先生』『男女七人夏物語』『ずっとあなたが好きだった』など。いっけいは『私の運命』などに出演。
──石田ゆり子さんとは今も交流があるそうですね。
「LINEのやりとりをしています。Twitterも彼女のはフォローしていて、ちょっとしたことでコメントしたり。僕としては盟友というか、ずっと見ていきたい人です。
彼女は単に演技だけを生業(なりわい)にする感じではなく、いろいろ多岐にわたって。最近では音楽もやってらっしゃるし(lily名義)、猫ちゃんをインスタにあげてみんなを癒してくれたり。生きているさまが非常に魅力的で幅広い支持につながっている。若いころから非常に面白い人だなぁって思っていました」
「ひかりちゃんはプロフェッショナルな感じだったんですよね。自力でしっかり生きていけるタイプ。そういう意味で、現場のパートナーとして素晴らしかった。
ゆり子ちゃんとは逆というか。こういう言い方はアレですけど、人間として気になる存在というか。いったいどこに向かうのか、ちょっと心配になる感じの人(笑)」
尊敬するディレクターの教え
──それにしても『ひらり』はすごい人気でした。平均視聴率は36.9パーセント、最高視聴率は42.9パーセント! ご家族や周りの反応もすごかったんじゃないですか。
「それはみんな喜んでくれましたよ。いっぱいサインを頼まれるようになったんですけど、実家の周りの方々、愛知県の方々はそのサインに《NHK》って入れてくれって。“ああ、そういうことなのか。調子に乗ることだけはやめよう” って思いましたね」
「『ひらり』の撮影中に30歳になったんですけど、20代の前半とかだったら本当に調子に乗ったと思います。それでもちょっと調子に乗りましたけど、大きくハメを外さなくてすんだのは年齢のせいもありますね。
あと初めての経験としては、渋谷のセンター街を通って毎日NHKのスタジオに通っていたんですけど、オンエアが始まって2週目ぐらいから僕が出るようになったら、急にみんなが見るんですよ。本当にこういうことがあるんだなってそれが面白くって。面白いんだけど、正直1週間後にはちょっと鬱陶しくなる。人目が気になって、マスクをするようになりました」
「で、あらためて思ったのが、僕は役者として目立ちたいし舞台でも人を笑わせたり感動させたくて役者をやってるけど、ふだんは決して目立ちたくはない。キャーキャー言われたりするのが一番の目標じゃないんだなって。ふだんからしっかり “芸能人” をしている役者さんも中にはいらっしゃるけど、僕にはまねできない。いまだに自分が “芸能人” という意識が薄いですね」
現場ではチーフディレクターの富沢正幸さん(※)から、ていねいな指導を受けたという。いっけいが今でもいちばん尊敬しているという富沢さんは、舞台とテレビの演技の違い、目線の使い方などを「テクニックとして覚えておいていいから」と根気よく教えてくれた。
※NHKで手がけた作品は数知れず。『わが美わしの友』『ロマンス』『チロルの挽歌』『徳川慶喜』『御宿かわせみ』など。
だが、いちばん心に残っているのは、ものをつくるうえのマインドだという。
「あるとき富沢さんに “あのさ、テレビってなんで映ってると思う?” って聞かれたんです。うまく答えられないでいると、電気の力だって。
“だから電気の力だよ。例えばお茶の間のセットがあって、カメラ据え置きにするよね。で、スイッチオンにして録画したとしようよ……。そこに役者さんが2人いて、ただただ決められたセリフを交互にしゃべっても、なんかドラマっぽいものが映るじゃん。それなりのものが電気の力で映るんだよ。僕はそこが怖くって……” って」
「そして諭すように言ってくれました。
“これから君が生きていくテレビの世界には一生懸命燃えている人もいれば、そうでない人もいる。何も考えてない人もいるし、実はエネルギーはまったくない人も紛れてるんだ。それでもそれなりのものが映るから、みんなそれなりに働いているんだよ” と。
本当のドラマっていうのは、その場でちゃんと俳優同士の関係性、お芝居がしっかり成り立ってこそ。僕らは《ドラマらしいもの》じゃなくて《ドラマ》を撮らなきゃいけないんだっていうことを、そのとき富沢さんから教わりました」
待ちに待った「舞台」に呼ばれて
プライベートでは1993年3月25日に故郷・愛知県の実家にも近い砥鹿神社で挙式。『ひらり』の収録をすべて終えて最終回のオンエアを待つばかりという時期で、《竜太先生が結婚!》と芸能ニュースにもなった。
「かみさんとはもう一緒に暮らしてたんですよね。それが親にわかって、だったらちゃんと籍を入れたほうがいいって。
3月の終わりに決めたのも『ひらり』のことを考えたわけでもなく。うちの両親の結婚記念日と同じ日にしようみたいなノリで盛り上がっていった気がします」
しばらく遠ざかっていた舞台でも、野田秀樹からうれしい出演オファーがあった。
「実は『ひらり』が決まったとき、野田さんの舞台を降りたんです。しかも降りると決めた日が、舞台のポスター撮影の前日。野田さんから僕の自宅に電話が入って “気持ちはわかるけど、あー、お前もそういうやつだったのかって感じだよ” って。あんな天才に直で言われて、もう演劇の世界には戻れないかもしれないって思いました。
だから『ひらり』は、自分としては “背水の陣”だったんです。なんとかみんなに認められて終わって、またちょっとしてから野田さんから呼ばれた。一番うれしいことでした」
それがNODA MAPの第1回公演『キル』(1994年)。
「やっぱり “渡辺いっけい、テレビやってダメになったな” って言われたくないと思いましたね。それは自分のこともあるんですけど、当時は小劇場からテレビに行く人がまだ少なかった。かっちゃん(勝村政信)はいたんですけど、勝村くんは『(天才・たけしの)元気が出るテレビ!!』で、バラエティー枠だったんでちょっと違うんですよ。
だから僕が下手こくと、“やっぱテレビやんないほうがいい” ってなるんじゃないかって勝手に思って。“俺はちゃんとやんないといけない” と思う気持ちもありましたし、野田さんが遊眠社(※)をやめて、NODA MAPの初めての公演でしたから」
(※)劇団夢の遊眠社。1976年、東京大学の学生だった野田秀樹を中心に旗揚げ。代表作に『ゼンダ城の虜 苔むす僕らが嬰児の夜』『野獣降臨』『半神』『三代目、りちゃあど』など。1992年に解散。
「野田さんの門出だったし、完全な新作。まだ北村さん(北村明子/現シス・カンパニー社長)が制作をやっていて、最初は古田新太が僕の役だったんですけど、野田さんが病気してちょっと延期になって、違う役で出るはずだった僕があの役をやることになったりとか、本当にいろんなことがあった舞台なんです。
とにかく役者の力量不足で失敗させるわけにはいかないと思って、けっこう頑張ったんですよ。だから『ひらり』の後、30〜32歳くらいはターニングポイントだったなと思います」
松重豊から愛ある「ダメ出し」
その後もドラマ、舞台で活躍が続く。近年の主な出演ドラマとして『大富豪同心3』(6月〜NHK BSプレミアム)、『ウツボラ』(3月24日〜WOWOW)、『夫を社会的に抹殺する5つの方法』(テレビ東京系で放送中)などで多彩な役柄を演じ、古巣の「劇団☆新感線」に招かれた『アテルイ』『髑髏城の七人 Season月〈上弦の月〉』ほか、各地で舞台にも立ち続けている。
映画は『マリッジカウンセラー』が公開中。『シャイロックの子どもたち』『Winny』など公開待機の作品も控えている。
「『マリッジカウンセラー』は2021年の秋に撮った映画です。映画って公開まで時間かかるじゃないですか。これから公開されるのもいくつかありますね。
コロナ禍の初年度に舞台が何本か中止になったりして、せっかく作り上げても上演できないっていうのは本当に悔しいしメンタルをやられるので、次の年は舞台をちょっと控えたんですよ。なので映像をやろうってマネージャーとも話して」
「一つひとつがすごく面白かったんですけど、それが今年になって相次いで公開されるっていう状態です。僕も久々にそのときの自分をスクリーンで見て新鮮に感じていますね。テレビだと記憶が鮮明なままオンエアになりますけど。映画の場合、本当にセリフも忘れてるし、“空気” だけを覚えている状態で見るのが面白いし発見があります」
──2022年の10月には還暦を迎えられました。心境の変化はありますか?
「ま、還暦ということもあるんですけど、コロナ禍の3年の間にいったん仕事が全部なくなって、じわっと復活した時期がありましたよね。久々に行った現場で同い年の松重豊さんに一喝されたんです。“誰だかわかんなかった” って。そのとき10キロくらい太ってたんです。
“あなたねぇ、ダメだよ”って、切切と言われたというか。“お互いもうこの年になると、自分でちゃんと整えないとダメよ”と。そういうこと言ってくれる人、あまりいないでしょ?」
「コロナ禍の中でもウォーキングはしてたんですよ。でも、もう“飲もう!” って決めて、かみさんと毎日好きなワインを飲んでたら、やっぱりじわじわと来ていました。自分でちゃんとしなきゃなって思ったきっかけですかね」
──それが『バイプレイヤーズ 〜もしも100人の名脇役が映画を作ったら〜』(2021年4月公開)の現場でしょうか。周りに年下のほうが多くなって、だんだん言われなくなりますよね。
「そうです。昔は “うるせえな、そういうの” って思っていましたけど、言われてるうちが花なんですよね、本当に松重さんは貴重ですね。
彼ともインディーズ時代から仲間ですけど、同世代の活躍は頼もしく、現場で再会できたりするのがいちばんうれしいですね」
(取材・文/川合文哉)
【主演作が公開中】
映画『マリッジカウンセラー』
出演/渡辺いっけい 松本若菜 宮崎美子
監督/前田直樹 脚本/松井香奈
池袋シネマ・ロサ、千葉劇場にて公開中。
2月4日〜大阪・第七藝術劇場、2月24日〜福岡・kino cinema天神ほか全国順次ロードショー
《PROFILE》
渡辺いっけい(わたなべ・いっけい) 1962年10月27日、愛知県生まれ。大阪芸術大学卒。「劇団☆新感線」「状況劇場」をへて、1992年NHK連続テレビ小説『ひらり』で注目を集め、舞台、ドラマ、映画、バラエティーなどで幅広く活躍。主演映画『マリッジカウンセラー』が公開中。映画『シャイロックの子供たち』が2月17日、『Winny』が3月10日公開。深夜ドラマ『夫を社会的に抹殺する5つの方法』(テレビ東京系)が放送中。アニメ『おしりたんてい』(NHK Eテレ)のナレーション・マルチーズ署長役など声の仕事も多い。