すべては信頼関係を築くことから

 では、これまで多くの人が抱きがちだったイメージが的外れだとすると、ひきこもりとは、いったいどのような状態なのか。斎藤氏は「困難な状況にある、“まとも”な人たち」と考えるべきだという。

「ひきこもりに陥ってしまう理由は、非常に幅広いんですよ。パワハラやセクハラ、過労で体調や精神状態が悪化してしまった人。職場、学校、家庭内で人間関係がうまくいかず、悩んでしまった人……。さまざまな理由から一時的に、誰とも会いたくないと考えて、しばらく家に閉じこもってしまう。誰にでも起こりうることですよね。その“困難な状況”の程度が大きく、長期化してしまった“状態”を指すのが、ひきこもりという言葉です。

 凶悪事件をひきこもりと関連づけた報道が出るたび「特殊な家庭環境で育ったのでは」という見方をする人が少なくありませんが、過去の調査や私の臨床経験から、虐待などの特殊な事情を抱えるケースはわずか。つまり、どんな家庭環境でも、何歳からでも起こりうる問題だと考えるべきです

 この「困難な状況にある、“まとも”な人たち」という表現は、ツイッター上でみつけたひきこもり当事者の言葉がきっかけで、使うようになったという。

「ある人が、こんな体験を寄せてくれました。自分がひきこもっていた時期に、家族は日々、自分を責めるので苦痛が大きかった。そこから抜け出すきっかけになったのが、近所に住んでいた幼馴染(おさななじみ)の存在だったと。その子が毎日散歩に付き合ってくれた際に、ひきこもっている状況を一切、批判せず自分のことを“今はいろいろうまくいっていないけれど、まともな人間”だと扱ってくれたことが救いだったというんです。

 私はまさに、これが正解なんだと思いました。なんとかして“あげよう”という発想自体がダメで、ただ、ひとりの友人として話したり、遊んだり、時間をともに過ごす。当事者がありがたいのは、そういったスタンスで接することなんだと思います。

 斎藤氏が「困難な状況にある、“まとも”な人たち」という言葉を使う背景には、ひきこもりを病気扱いしたい人々の存在もある。

「ひきこもりが病気ではないといえば、“では、ただ怠けているだけなので支援は不要”ととらえ、支援が必要だと訴えると、“それならば、治療するべき病気だ”と扱いたがる人が多いようです。病気としての治療ではなく、苦しみを和らげるための支援が必要な、フラットな状態であることが理解されづらいのです。

 さらに、'10年に発表された厚生労働省のガイドラインでも、病気とみなす『医療化』の考えが強く反映されている。

「おそらく、厚労省は当事者の家族会などからの要望を受けたかたちだと思われます。ひきこもりが病気として診断されると保険診療の対象になるので、費用が安くなる。しかし、そもそも当事者たちは病気扱いされることを望みませんし、その状態で家族が無理やり病院につれていくのは、逆効果。当事者を病気扱いしているうちは信頼関係が築けませんから、いずれにせよ、病気としてみないほうがよいでしょう。それではスティグマ(個人に不名誉や屈辱を引き起こすもの)は消えません。

 では、どう対処すべきか。医療の対象ではなく、“福祉”の支援対象のカテゴリに入れることが賢明でしょう。デイケアや、当事者らで構成された自助グループ、就労支援機関など、さまざまな社会資源にアクセスすることも可能になりますし、そういった人々の頑張りが、当事者の役に立つことが多いのです。本人が自ら希望する場合を除いて、治療を強要するのは間違っています」