ジューシィ・フルーツのメンバーらと授賞式に並ぶ河合奈保子(右から2番目)

体重バレ&歌妨害でも笑顔の奈保子

 奈保子は、まさに健康美の象徴的存在だった。その愛くるしい笑顔と何でも「ハイ!」と元気に返事してしまう屈託のなさが印象深い。かつて黒柳徹子から「あまりハイハイ言うんじゃありませんよ」とたしなめられた直後、また「ハイ!」と答えてしまうほどのおてんばさを見せつつも、いざ歌い出すとその丁寧な歌唱でファンを魅了した。実際、レコーディングにおいては初見でも楽譜が読めたそうで、数年後にはコンサートでピアノ弾き語りをするなど、早期から音楽的才能を開花させていた。

 ビキニの水着が映えるプロポーションでありながらハツラツとしたキャラクターで、初期の奈保子のシングル曲に「ふるえる胸の奥の奥なの」(『大きな森の小さなお家』)、「胸がキュンとなるの」(『ヤング・ボーイ』)、「感じてマイハート この胸は」(『17才』)、「もっと愛を教えて そうよ ときめく胸に」(『スマイル・フォー・ミー』)、「不思議な胸さわぎ」(『ムーンライト・キッス』)など、デビューからの9作品中、7作もの歌詞に“胸”をそれとなく登場させたのは、単なる偶然ではないだろう。

 もっとも、当の本人は胸もとより体重を気にしていたらしい。'83年に放送された『ザ・ベストテン』では、聖子と奈保子が同じ体重計に乗り何キロになるか、という恐怖の演出が。2人の合計は90キロ台後半と出たが、後日『笑っていいとも!』(フジテレビ系)にて聖子が「(私は)42キロ」と明かし、おのずと奈保子の体重が50キロ超だと答え合わせされてしまった事件もあった。そんなことがあっても、誰を責めることもなく、八重歯を見せながら笑顔で乗り切るキャラクターもまた、彼女の大きな魅力だった。

 全国キャンペーンや両A面の効果で初のオリコン1位となったシングル『デビュー』をNHK紅白歌合戦で披露したときのハプニングを憶えている人も多いだろう。彼女の前に歌唱していた男性歌手が火気を伴うド派手なパフォーマンスをやらかし、結果的に奈保子の登場を妨害。楽曲の頭サビ部分が歌えなくなってしまったのだ。しかし、これについても彼女からネガティブな発言は一切なかった。

 それでいて、音楽的には目覚ましく成長を遂げたのも彼女のすごいところだ。'82年に竹内まりや作詞・作曲のバラード『けんかをやめて』がヒット。'83年には中森明菜の『少女A』を手がけた作詞家・売野雅勇と大御所の作曲家・筒美京平を起用した「胸の鼓動を素肌に感じるくらい抱きしめて」という挑発的な歌詞の熱唱型ポップス『エスカレーション』で、自身最大の累計売上げ35万枚以上を記録

 '84年にはデヴィッド・フォスターら錚々(そうそう)たるミュージシャンが参加した海外録音アルバム『デイドリームコースト』を発売するなど、アーティストとしての意識も高めつつ、'86年にはついに全曲自作のアルバム『スカーレット』を手がけた

 一方、芳恵はといえば、常に実年齢以上の色気をまとっていた。当時、ひらがな名義の“柏原よしえ”で歌った『No.1』では、わずか14歳ながら、ナナメ45度に身体をくねらせた肩越しから独特な憂いのある色気を放っている。それが、'90年代以降の写真集やイメージビデオでの活躍にもつながったのだろう。

 '82年の17歳の誕生日に“柏原よしえ”から本名の“柏原芳恵”表記に変更して以降は、谷村新司や宇崎竜童、松尾一彦(オフコース)、松山千春など、シンガーソングライター提供の楽曲路線に挑む。