書籍『新・日本人論。』('13年)で著述家・湯山玲子は、小泉のアイドル時代にはサブカル熱が若者の間で高まっていたとし、そんな'80年代を過ごした小泉について《アイドルとしての仕事を通してインディペンデント、それゆえ貧しいクリエイターたちに、仕事を回すパトロンにもなった。故・川勝正幸がツアーパンフレットや雑誌宝島の連載ページ「K-iD」の編集を通じて、彼女にいろんな才能を引き合わせ、化学反応を起こした結果、多くの人間が「テレビで見ているだけでは知り得ない」カルチャーの世界に触れて行ったことは無視できない》と、彼女の興味の源泉を掘り起こす。
名前が挙がった川勝正幸は編集者・ライターで、人気音楽グループ・スチャダラパーを初めてメディアで紹介するなど、日本のポップカルチャーシーンの最重要人物として知られる。小泉は川勝を通して、ミュージシャンの近田春夫やファッションデザイナーの藤原ヒロシらとも知り合っていった。
小泉がプロデューサー業に乗り出した際、多くのメディアは川勝の影響を報道した。小泉自身、川勝の『ポップ中毒者の手記(約10年分)』('14年)に《川勝さんがいてくれたおかげで、私はいろんな人に出会うことができたし、それまで点と点でしかなかったものが太い線としてつながることもできた》と解説文を寄稿している。こういった作り手たちとの関わり合いが、彼女にプレーヤーとしてではなく、制作側へと舵(かじ)を切らせた要因といえる。
気に入ったものは自らレコメンド
小泉は優れたレコメンダーでもある、ということも話題として欠かせない。
前述の『新・日本人論。』で湯山は、ジョン・カサヴェテス監督の映画作品が広がりを見せたのは、小泉の発言があったものとしている。事実、小泉は自伝『パンダのanan』('97年)で、カサヴェテスを好きな映画監督に挙げていた。
そういえば、対談集『小泉放談』('17年)における片桐はいりとの会話のなかで、小泉は《役者さんでも作家でも、素敵な人がいっぱいいるんだということがわかってくると、「世の中に知らしめたい!」みたいな気持ちになる》と発言している。プロデューサーとしてまだ見ぬ才能を発掘し、作品に起用する現在の姿も、我々に「世の中にはこんなに魅力的な俳優や作り手がいるんだ」とレコメンドしているようである。
『ソワレ』の外山文治監督も、小泉としては間違いなくもっと押し上げたい作り手なはず。冒頭で記した同作主演の芋生悠も同じくだ。また、新世界合同会社の設立メンバーに、初監督作『ニュータウンの青春』('11年)が自主映画のコンペティション『PFFアワード2011』に入選するなど高い評価を集めた森岡龍が名を連ねているところも見逃せない。森岡は俳優として大活躍中だが、インディーズ映画好きの間では「そろそろ監督作も見たい」と望まれている。「小泉プロデュースで1本」と期待したくなる。