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音楽

工藤静香はいつから“ミラクルひかる風”になったのか? 変化しまくりの歌唱法を検証

SNSでの感想
1988年の工藤静香
目次
  • 初期の静香、音程がズレすぎて……
  • 中島みゆきに対して「MUGO・ん」に
  • 『鋼の森』は“SMAP騒動”へのアンサー?

 今や芸能ニュースでは、毎週のように見かける工藤静香。特にここ数年、家族がらみの報道が絶え間なく出るたびに、彼女が木村家の“影の司令塔”に違いない、と推測されるような記事が目立つ。また、ネタが不足する週は彼女のインスタグラムをチェックしては、ファンが絶賛しまくる手料理写真などをニュースに盛り込むメディアも。玉ねぎの皮や野菜の切れ端からだしを取るだけで「野菜くずで料理?」と物議を醸(かも)し出すことまで記者は織り込みずみで、結果として数多くの言動が話題を読んでいる。内容はともかく、ある意味、彼女は芸能ニュース界の“ドル箱的存在”なのかもしれない。

初期の静香、音程がズレすぎて……

 そんな静香だが、昨年も新作アルバム『Deep Breath』(その初回盤はなぜか彼女の顔がプリントされたエプロン付き!)を発売し、全国ツアーやディナーショーを開催。今年もコンサートツアーが予定されていたように、本来はれっきとした現役アーティストなのだ。

 彼女がアーティストして注目される理由は、スレンダーな体形もさることながら、やはりクセの強い歌い方だろう。平成初期では森口博子、中期では友近、そして平成後期から令和にかけてはミラクルひかると、さまざまな歌手や芸人が彼女をまねて注目されるほど、ネタとしては鉄板の歌い方だ。

 1980年生まれのものまねタレント・ミラクルひかるは、2006年ごろにその芸名のキッカケとなった宇多田ヒカルのものまねでブレイク。歌い方や話し声までソックリで、宇多田本人も認めるほどの腕前だ。その後も、元おニャン子クラブの新田恵利、ソロアイドルの松浦亜弥、歌手の渡辺真知子など、数多くの女性歌手をレパートリーとしてきた。

 そのなかでも静香については、キュートに媚(こ)びるような歌い方も、ワイルドに男気のある歌い方もよく特徴をつかんでいて、大半の静香ファンも笑って許せるほど。ミラクル自身もその評判を自覚しているのか、いまや彼女がテレビやユーチューブの公式チャンネルに登場する際は、宇多田ネタ以上に静香をメインとすることも増え、静香の持ち歌『慟哭』をまねて歌う動画は再生回数107万回を超えている('20年8月25日現在)

 しかし実は、静香は初めからあの歌い方をしていたわけではないのだ。その証拠に、ミラクルの静香ネタには初期楽曲がない。そこで、静香はいつの間に“ミラクルひかる風”の歌い方になったのか、これまでのヒット遍歴を振り返りながら考察してみたい。

 まず、静香のデビュー曲は『禁断のテレパシー』('87年)だ。作曲者である後藤次利のベースがうねりまくる激しい歌謡ロックナンバーを、このころの静香は、エコーが目立ってしまうほど弱々しく歌っている。それゆえ「これくらいが繊細でいい」というアイドルファンも多い(この時点でミラクル度0%)。

 ちなみに、『ザ・ベストテン』にランクインした際、出だしの《♪夜明けに抱かれて~》の部分があまりに不安定で、登場するたびに音程が変わっていることを示すために、2つの登場回の歌唱を重ねて“どれだけズレているか”が検証された回もあった。それほどに自信なく歌っていたのだ

 その翌年のシングル『抱いてくれたらいいのに』('88年)では、出だしの《♪抱いてくれたら》の部分の歌声にパンチが加わっているが、歌い方自体はストレートだ。《♪真夜中の青い海~》からの低音部を一生懸命に太くしようとしているのも、なんだか意地らしい(ミラクル度20%)。

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