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人生100年時代。今や日本人のおよそ半分は50歳以上です。「NEOFIFTY」では、これから50代を迎える人にとって、その先にある老後が「終活の始まり」ではなく「新しい人生がもう一度始まる」と思えるように、素敵な生き方をしている人たちの言葉を紹介していきます。

NEOFIFTY -新50代の生き方-

梅宮アンナが語る父・梅宮辰夫「私、父が亡くなってから、まともに泣いてないんです」

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梅宮アンナ 撮影/佐藤靖彦
目次
  • みなさんが思うほど、父に依存して生きていない
  • 借金はすべて自分で返済しました

 12月12日、昭和の名優・梅宮辰夫さん(享年81)が亡くなってから一周忌を迎える。娘のアンナさんは、よくも悪くも、若いころから世間の注目の的だった。長年にわたって父の闘病を支え、辰夫さん亡きあともしっかりと家族を守るアンナさんに、世の中が抱いていた「わがまま娘」のイメージは、もはや微塵(みじん)もない。父の死と向き合ってきた、この1年の思いを聞いた。

(※インタビューを2回に分けてお送りします。前編では、父・辰夫さんの思い出や、相続手続きに追われた1年間の出来事を語っていただきました)

  ◆    ◆    ◆  

 昨年の12月12日に父が亡くなって1年。早いものですね。一周忌は、父が好きだったレストランで過ごす予定です。私たち家族と、父が生前親しくしていたお仲間だけで、ささやかに、楽しく、父を偲(しの)ぶつもりです。

 この1年間は、あまりに大変すぎて、もう息つく暇もないくらいでした。相続手続きのために、区役所やら銀行やら、少なくとも60回以上は行ったかな(笑)。

 父は、世間ではマメでしっかりしたイメージがあったかもしれませんが、全然違うんです!(笑) O型で無頓着。遺言書もなく、銀行の口座も不動産もすべて父の名義のままでしたし、相続には父の人生81年分の戸籍謄本などが必要と知りました。相続の申告期限は死後10か月しかないから、駆けずり回らなければならなかったんです。

 母はアメリカ国籍で、書類上の難しい日本語はよくわからないし、なにより夫の死にふさぎこんでいて、それどころじゃない。私がひとりでやるしかありませんでした。なんとか手続きを終え、ふと振り返ってみると私、父が亡くなってから、まともに泣いてないんです。泣く暇もないほど、気が張りつめていたんでしょうね。

 父は病気を繰り返していましたので、高齢になってからは「遺言書のこととか、ちゃんと考えて」と言ったこともあるんです。結局、のらりくらりとかわされて、書かずじまいでした。あんなに強かった父でも、自分が死ぬことを考えるのはやっぱりいやだったんじゃないかな。

 でも今となっては、遺言書なんてなくてよかったと思ってます。当事者になって初めてわかったんですが、遺言書があるからこそ家族でもめるケースもよくあるみたいで。うちは、母と私と娘の法定相続人3人だけで話せましたから、もめようもない(笑)。

 とはいえ、お仏壇の前で、よく父に恨み言は言いましたけどね。

「パパ、今日はね、銀行に行って、お役所に行って、仕事の打ち合わせして、なんやかんや、合計8つの用事を片づけましたよ。パパならできる? お付きの人がいて、身の回りのことはぜーんぶやってもらっていたパパに、できますか?」って、笑いながらね(笑)。

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