みなさんが思うほど、父に依存して生きていない

 父亡きあとの私の姿に、「意外と強いんだな」と、驚いている方もいらっしゃるみたい(笑)。

 父の死に対する心構えは、もう何年も前からできていたんです。がんを繰り返して手術を重ねる姿をずっと見てきましたから。母から着信があるたび「パパが亡くなったのかも?」と一瞬、身構える。そんな毎日でした。よく想像するんですが、もし事故に遭って死なれていたら今日この日も、私は立ち直れていないと思います。

撮影/佐藤靖彦

 それに私、みなさんが思うほど、父に依存して生きていないんです。ひとりっ子でしたから、自分で考えて答えを出すしかない。10代のころから、「自分で稼ぐ」「早く自立したい」ということを常に頭に置いて生きてきました。

 母は私とは正反対で、夫に守られ、梅宮辰夫という大きな大きな傘の下にすっぽりと入って生きてきた人。経済的にはもちろん、料理や洗濯など家のことも夫にやってもらって、本当に幸せな妻だったと思います。

 もちろん、私も父からたっぷりと愛情をもらって育ちました。父は「イクメン」のはしり。毎年、学校から配られる1年間の「行事表」の予定を手帳に書き込み、それをもとに仕事のスケジュールを決めるような人でしたから。でも思春期になってくると、そういうのがうっとうしくて(笑)。

 一方で、頑固で厳しい人でもありました。いまでも覚えているのが、高校の卒業旅行をめぐる騒動です。仲よしの友人たちと「ハワイに行こう!」と計画がもちあがったんですが、わが家だけは、父がどうしても許してくれない。

「みんな行くのに!」
「ダメと言ったらダメ!」

 の繰り返し(笑)。今までも、こんな言い合いなんてしょっちゅうだし、殴り合いをすることもありました。このときも私は折れることができなくて……。だって文句を言わないと、親も私の気持ちがわからないから。

「だったら旅行費用の49800円、自分で稼ぐなら行ってもいいよね!」
「勝手にしろ!」って(笑)。

 私は16歳からアルバイトをしていましたが、さらにがんばって、土日の朝はビル清掃、夕方は神宮球場の売店、そのほかにもアイスクリーム屋さんと、フルにかけもち(笑)。なんとか旅行費用を捻出(ねんしゅつ)することができました。

 親が金を出すとうるさいんです。父は「誰のおかげで〜」が口癖の昭和の父親。「お前だよ!」って言い返したこともあるけど(笑)。「自分のやりたいことをやるには、経済的に自立するしかない。成人したら家を出よう」と、考えるようになったのは、こういった出来事の積み重ねだと思います。