桜田淳子や森昌子らと共演する岩崎宏美

歌い継がれるうちに当時より人気が上昇

2. 「『シンデレラ・ハネムーン』はコロッケにあげました(笑)」('80年代)

 14作目のシングル『シンデレラ・ハネムーン』('78年)は作詞:阿久悠、作曲・編曲:筒美京平というゴールデンコンビによる楽曲。「♪日暮れに始まり 夜更けに別れる〜」という、何やらわけありの男女の恋をディスコ調に歌ったアッパーチューンだ。岩崎宏美ならではのダイナミックな歌唱や、手をぐるぐる回す派手な振り付けが印象的で、その年の紅白歌合戦で見せた超早回しでのパフォーマンスは、マツコ・デラックスやミッツ・マングローブが語り草にするほど。だが、当時はオリコン最高13位にとどまり、レコードの売り上げも岩崎の中で17番目(累計約15万枚)と、決して高くはなかった。

 しかし、'80年代前半に、コロッケがあごを突き出して得意げに歌い踊るというモノマネを披露して、お茶の間の人気が急上昇。そのあおりを受け、宏美のコンサートではこの曲の♪チャラチャチャチャーンというイントロが鳴るだけで、客席からクスクスと笑い声が上がるようになり、以降は岩崎も「『シンデレラ・ハネムーン』はコロッケにあげました(笑)」と言って、'00年代に入るまでコンサートでは封印していた。

 現在は黄色いハチマキを巻いた親衛隊のかけ声を伴って、大半のコンサートでクライマックスを盛り上げるとても重要なナンバーで、カラオケ人気も岩崎の中で4番手と非常に強く(JOYSOUND、2020年調べ)、当時の売り上げよりも、歌い継がれることの重要性がよくわかる。なお、かつて良美がコロッケに向かって「お姉ちゃんは、そんな顔をしていないもん!」と怒って反論した、という姉妹愛の強さを示すエピソードもつけ加えておこう。

3. 離婚後、シティポップのアルバムとミュージカルの薄幸な役で奮闘('90年代)

 岩崎は'70年代に阿久悠、筒美京平、三木たかしなど歌謡曲の重鎮たちが手がけたヒット作を数多く歌い、'80年代には『聖母たちのララバイ』をはじめとする大人のポップスや、2枚の海外録音アルバム(うち1枚はデヴィッド・フォスターやスティーヴ・ルカサーなど有名ミュージシャンが多数参加)を発表。さらに'88年に結婚してからは『誕生』『家族』『きょうだい』というタイトルがついた胎教・育児系の三部作を発表したのち、'95年に離婚した('09年に再婚)。

 その後、2人の子どもとは離れて暮らすこととなり、会えるのは2か月に一度の面会のみで、寂しさのあまり子どもたちの住むマンションの下まで車を走らせて泣いた日々もあったようだ。