結婚した2年後に公開された『心中天網島』(1969年)は初日から大入り満員!この作品の大ヒットによって岩下と篠田監督(写真左)が設立した独立プロの基盤が作られた (c)表現社

自分の仕事姿を見た娘がまさかの大泣き

 岩下が結婚したのは'67年、26歳のときだ。19歳で初めて出演した映画『乾いた湖』('60年)の監督が篠田氏だった。以来54年間、ずっと二人三脚で歩んできた。'73年には、ひとり娘が生まれている。

「4年前に金婚式を迎えたとき、娘一家と京都へ旅行したんです。式を挙げた大徳寺高桐院というお寺がちょうど修復中で、拝観できず残念だったのですが……。夫婦になって50年超、確かに長いですね。でも、結婚生活をやっていけないと思ったことはないんです。結婚してすぐに篠田が独立プロダクションを作り、私もプロダクションの役員になり、それで監督と女優としてタッグを組んで、一緒にたたかっていくしかなかった。夫と妻、というよりは“同志”という感覚が強いですね。それが、いい距離感なのかも

 そんな2人の間で育った娘は、芸能界を一度も視野に入れたことがないという。

「娘は、嫌な思いをしながら大きくなったんじゃないでしょうか。どこに行っても“岩下志麻の娘”だと言われてしまうわけですから。彼女が2、3歳のころ、うちのすぐ近くでCMの撮影をしたことがあるんです。近所に住んでいた父が娘を抱いて見学しに来たんですが、娘は私を見るなり、火がついたように泣きだしたの。着物姿でお化粧もばっちりしていますから、家にいる母親と違うことを感じとって怖かったんでしょうね。

 それ以来、まったく見に来ていませんし、私も自分の出演作品は1本も見せませんでした。でも私、娘の運動会や学芸会、授業参観などの学校行事には全部行っていたんですよ(笑)。彼女はうれしいような恥ずかしいような、複雑な気分だったんじゃないでしょうか

 娘は「いかに両親と離れた道を歩むか」を早くから考えていたようだ、と岩下は感じている。中学受験に関しては塾を探したり家庭教師の先生を探したりしたが、それきり娘は自立して、自分のことは自分で決めていった。

「大学の卒業旅行も、花屋さんでアルバイトをして貯めたお金で行っていましたね。“友達は地方から出てきたりして、苦労して暮らしている。自分だけ親に甘えたら、みんなに申し訳ない”と言って。そのあたりは篠田の教育が大きいかもしれないですね。彼は礼儀を含め、かなり厳しくしつけていたから。私はただただ甘やかして、“愛してる”と伝え続けてきただけです(笑)」

長女を出産し、喜びの表情を浮かべる岩下志麻と篠田正浩監督